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ウルトラマンジード 考察 第二回 ゼロとベリアルは近年のウルトラシリーズの展開の光と影を表している。フュージョンライズ組み合わせの秘密の考察。次に続けるという強い意志。ロイアルメガマスター

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1ゼロとベリアルとプリニティブ

 『ジード』におけるゼロとベリアルは近年のウルトラシリーズの展開の光と影を表している。彼ら二人は円谷プロが新体制になった時に生み出されたキャラでこれまで禁じ手となっていたことをすることで、大人気になったのと同時に一部ファンからは顰蹙を買いました。しかし彼らのおかげでウルトラシリーズが近年でも人気になったのは事実でもあります。
 新しい展開には良い部分も悪い部分もあります。ニュージェネレーションシリーズでは変則的であるとは言え、ウルトラマンシリーズ始まって以来の8年連続テレビで新作を公開するということ行いました。
魅力的な人物も物語もたくさんあります。それらを表しているのが『ジード』におけるゼロです。ジードがどんな人物なのか見極めながら、先輩として仲間としてジードと関わっていきます。
逆にその反対側にある近年のウルトラリーズの闇の部分を表現しているのがジードにおけるベリアルです。
 例えばグッズが多かったり、ウルトラマンが本来持っていた神秘性がなくなっているなどです。おそらくたまたまなのですが初登場時の声優が芸能人という面もウルトラマンの神秘的な面がなくなっているということを結果的に表すことになりました。

 ジードの基本形態は初代ウルトラマンとベリアルが融合した姿です。それは『ジード』が昔ながらの『ウルトラマン』の要素を持っていると同時に『ベリアル』な面(近年ウルトラシリーズの影の面)も持っていることを表しています。
 

2ソリットバーニングとアクロスマッシャー

セブンとレオ、コスモスとヒカリがフュージョンライズしたのでしょう。

それはその四作がシリーズが小休止した作品だからです。『セブン』は一期ウルトラシリーズの最終作品、『レオ』は第二期ウルトラシリーズの最終作品です。今でこそそれぞれ人気シリーズですが、『セブン』は視聴率が思ったより高くないと言われ放送当時は苦戦した作品です。『レオ』もオイルショックの関係もあり次回作が制作されるまで3年の時間がかかりましたし復活した作品もアニメ版でした。

 また『コスモス』も次回作『ネクサス』が作られるまで2年の歳月がかかりました。また主人公の俳優が誤認逮捕された結果放送が一時中断されたことでも有名です。のちに冤罪であったことが判明しました。
ヒカリは『メビウス』における二人目のウルトラマンであり、旧体制の円谷プロが最後に生み出したウルトラマンです。
なぜジードの基本形態のフォームチェンジする姿はそれらを合わせた姿になったのでしょうか。おそらく『ジード』制作中はウルトラシリーズが今後も続いていけるのかわからない部分もありました。そのためシリーズが中断してしまった作品を重ねることでそれらの力を借りつつ、ウルトラマンを今後も続けてくという決意を表現したのではないでしょうか。
 
このことから、もしジードにもう一つフォームチェンジする形態があるのならば、それはガイアと80がフュージョンライズした姿になっていたと推測できます。

 

3マグニフィセントとロイヤルメガマスターが表すもの。
 ゼロとベリアルは上で述べたように現在のウルトラシリーズの光と影です。
それではウルトラの父ウルトラマンキングは何を表すのでしょう。それは過去のウルトラシリーズの光と影です。今でこそ馴染んでいるウルトラの父ウルトラマンキングですが、当時は彼らを含む二期ウルトラシリーズが受け入れられていない時期もありました。代表的なものでは、ウルトラマン(初代)やウルトラセブンをデザインした成田亨は著書『特撮と怪獣 わが造形美術』 フィルムアート社 1996年1月10日初版 の11ページにて鎮魂歌と題し「君を利用し金儲けをたくらむ地球人の為に角をつけたり髭をつけたり乳房をだしたりしてはいけない」と述べています。
この部分は当時のウルトラの父や、ウルトラの母ウルトラマンキングに対する批判と考えられます。
今でこそ再評価されている第二期ウルトラシリーズですが、一時期は非難対象にもなっていたのです。
ジード』の一話や最終回を演出したメイン監督坂本浩一監督は二期ウルトラシリーズの『レオ』が好きなので、自身の作品の中でレオを活躍させることでレオに人気キャラにすることに成功しました。
 以上のことから推測するとかつての二期ウルトラシリーズと同じように非難されいるニュージェネレーションシリーズを肯定することで最強の力にするという理屈にした、考えられるのではないでしょうか。

ジード』ではジードは作られたヒーローにすぎず、作り手であるベリアルたちが力を手に入れるための手段でしかありません。
それはニュージェネーションウルトラマンが金儲けの手段に過ぎないという批判を形にしています。
ジードはそれらに対抗するために昔、金儲けの手段と批判されながらも今は人気キャラになったウルトラの父の力と近年のウルトラマンの光の部分を表すゼロの力を使いマグニフィセントにパワーアップします。

しかしやがてさらに力が必要になります。その時ジードはキングとベリアルの力を使います。それにより最強の力を手に入れるのですが、これが意味していることはとてもすごいことなのです。
もちろんマグニフィセントで述べたように以前のウルトラシリーズで評判が悪かったキャラクターと現在のウルトラシリーズの融合です。しかもベリアルはウルトラシリーズの批判されている部分や影の部分を表しているのでそれを受け入れるということは自分のありのままの姿を受け入れるということになり、より強い力を手に入れるのです。

それだけではありませんキングも父と同じように依然は批判されていたキャラです。しかし父と違い、キングを平成で初めて復活させたのはジードの監督坂本浩一監督なのです。
つまりロイヤルメガマスターとは、子どもの頃から好きだった番組に登場する好きなキャラクターと自分が生み出したキャラクターを融合させたウルトラマンなのです。
どちらも一部のファンから評判が悪かったりします。しかし坂本浩一にとってはどちらも大切な存在ですし、今のウルトラマンシリーズを好きな人にとっても同じようにとても大切な人物なのキャラなのです。

その二つを合わせたからこそロイヤルメガマスターはテレビ本編でのジードは最強の力なのです。

素のジードとウルティメイトファイナル
ジードは本編において本来の自分の姿で戦うことがありません。しかし本来の姿はベリアルほぼそのままなのです。またシナリオにおいても『オーブ』のように本来の自分を取り戻すような物語にはなりませんでした。ジードはもともとカプセルがないと変身できないウルトラマンなのです。
そんなジードのことをオリジナリティがないというに批判することはたやすいです。しかし本当の意味でオリジナリティがある人はどれぐらいいるのでしょうか。
そんなジードは戦っていくなかで、自分がいろんなものを継いでいることを受け入れます。受け入れた上で自分なりに自分のやりたいことをしていくのです。

ジード最後の姿ウルティメイトファイナルは個人の力をこれまでの力をたくさんの人の思いを受け継いた姿です。そのためジードのオリジナルの姿であるものいろんな人の思いを継いでいる姿でもあるのです。

次回の記事ではジード本編にある比喩表現について書いて行きます。

 

 

ちなみに前作『オーブ』ではウルトラシリーズ50周年を記念して、シリーズの節目になった作品からフュージョンする素材が選ばれています。

 

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