音水信二のはてなブログ

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気持ち悪さって大切だよね。「『高畑勲映画』がすごいと思う。私はそれが好きだ」という話。『おもひでぽろぽろ』『柳川堀割物語』『ホーホケキョ となりの山田くん』『火垂るの墓』などについて感じること。

 


心に残る文章や作品というものがありますが、それは綺麗なものだけとは限りません。

 わけのわからないものや気持ち悪いものも印象に残ります。僕はそういうものも大切だと思います。言い換えればそれは毒と言えるかもしれません。
 毒をむやみに入れればただ関係するものを苦しめるだけになりますが、上手く作れば、ただ綺麗なものよりも美しいものになったりもします。


高畑勲作品の映画などは見た後妙な気持ち悪さが残ったりします。


 例えば『おもひでぽろぽろ』は「田舎っていいな」と主人公は言っているものの、見ている側は「本当に田舎って良いものなのか」という強い疑問を感じさせます。
 あの映画ではセリフでは田舎っていいよねと言っており、主人公が田舎に行ってしあわせになるという「プリンセス物」のような構造なのにです。
 これはとてもすごいことだと思います。

柳川堀割物語』はとても面白い映画ですが、「見ていてこれでいいのか」と感じさせられます。しかしこういう作品を作れる人こそが本物なのだと思います(予算やスケジュールはもう少し気を使った方がと思わされますが、それも含めて作品としてすごいと思います。)。


去年公開された新海誠監督川村元気プロデュースの『天気の子』はいろいろあったけど、最後に「大丈夫だ」と歌って終わります。

 一方高畑勲作品で『天気の子』のおよそ20年前に制作された『ホーホケキョ となりの山田くん』ではいろいろあるけど、最後に「なるようになる」と歌って終わるという映画です。

 しかし見た後頭の上には大きな「?」マークが浮かびます。『天気の子』も見た後いろんな感情が出てくるという点、すごい映画ではあります。どちらが良いかというものは人の好みによります。もしかしたらそれは社会的評価の差や考え方、人間性の違いなのかもしれません。

 『ホーホケキョ となりの山田くん』は「なるようになる」と言っておいてそれで「なるようになるのか」と感じさせ勇気づける人もいる一方で「本当になるようになるのか」と感じさせられるという二つの面を描いています。
 それが重なりあって、見ていてとても気持ち悪くわるく感じるのです。


 高畑勲は『火垂るの墓』でも主人公と口うるさいおばさんの二つの意見を出して、見ている側に考えさせるということをしていましたが、以後の作品でもそのような手法が形を変えて盛り込まれています。

 僕はこの方法はとても好きです。なぜならば生きていく上では、「なるようになる」と思いつつ「なるようになるのか」と考えるそのどちらも大切だからです。


 私は今小説を書いているのですが、それらの作品も高畑勲作品のように、見た人の心に残るような美しさと、気持ち悪さを持てたらなと思います。