『Gのレコンギスタ』のアンチについて考える。
私が大好きなアニメ『Gのレコンギスタ』にもこのアニメは苦手だと思う人もいます、面白くないのでもう見ないと言っている人もいます。
人によって感性は違います。なので私が好きなものを世界中の人が好きであるべきだとは思いません。私が好きなものを理解できない感性を間違っているとも劣っているとも思いません。
それはつまり世間でどれだけ流行っていようが、私は好きでないというものは好きでなくて良いのです。社会とはそうであるべきだと思います。
別に何かを嫌いであっても良いのです。自分の嫌いなものを嫌いでないと言い聞かせていけばいつか人として心がおかしくなってしまいます。
ただ自分がどれほど嫌いなものであっても、それを楽しんでいる人や、作っている人のことをぼろくそに言うことを積極的にしていけば良いのかと思うとそうではないと思います。
もちろんそれを言う自由は保障されるべきですが、それに対する反論する自由もありますし、どんどん泥沼になっていくでしょう。
私は好きなものは好きで良いのです。嫌いなものは嫌いでいいのです。
それが自分や他人に良い影響を与えるかどうかはともかくとして、別に閉じたコミニティであればアンチ活動をしても良いと思うのです。そんな自由も許されない社会はいやです。
ただそれをアンチ対象が見ることはタブンないと思います。そんなことしても何も良いことがないので
もしアンチ対象に意見を届けたい場合はそれなりに理屈するなり、いろんな工夫をした上で相手に直接伝えれば良いと思います。
それはそれとして私は『Gのレコンギスタ』が好きですが『Gのレコンギスタ』アンチの気持ちもなんとなくわかるのです。
なぜならばアンチが起きても仕方ないような宣伝方法をしたからです。
『Gのレコンギスタ』はなぜかこれまで『ガンダム』を見てきた人は良くなかったという否定から入ります。そのうえで、このアニメを理解できる人はすごいと言われます。
日本でロボットアニメに興味を持つ人で、果たして『ガンダム』を一作品も見たことがない人は果たしているでしょうか。
『Gのレコンギスタ』は内容は良かったのに、なぜか喧嘩腰で始めた結果、相手に見るをなくされてしまったのではないかと思います。
実際見て見ると別に『ガンダム』を批判しているわけではなく、むしろ『ガンダム』をやり直すことで、『ガンダム』を肯定しているいうならばターンエーしている作品だと思うのですが、嫌いになられてしまったならば理屈抜きで理解しようとされないので、考えようともされないのだと思います。
私は『Gのレコンギスタ』はとても面白いと思うので、変な偏見はすてて見てみたら面白よと思うのですが、そうやって簡単に気持ちを切り替えるほど、アンチの人の心は強くないのだと思います。
富野監督がこれまでのことを否定することはいつものことです。『Gレコ』だってテレビ版は富野監督に批判されています。
でも僕は富野監督が批判しようとも、好きなものは好きなので見ています。
ただそうやって流すにしては富野監督の『ガンダム』批判宣言はあまりにも心に響きすぎたのではないでしょうか。富野監督はともかく、サンライズの広報スタッフはもう少し考えて欲しかったなと思います。
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