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私はこう見た『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ! オトナ帝国の逆襲』感想

 私が2歳の頃に公開された映画『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ! オトナ帝国の逆襲』は日本アニメ映画の傑作の一つだと言われている。監督は原恵一だ。この作品は毎週テレビで放送されているアニメ『クレヨンしんちゃん』の映画版であり、昔を懐かしむ気持ちが扱われている。

太陽の塔は私にとっても大切な場所であり、個人ではもちろん、行事で出かけたり、私が普段(2020年7月14日)書いている小説『愛の耀き勇気の鼓動』取材でも何度も通っている。そんな太陽の塔が描かれる場面は印象的でした。

 私はこの映画の作り手が一番心を込めて作った人物は敵役であるケンだと思う。彼は昔への思いと今への絶望から、昔の世界を作りあげようとする。それは作品を作る作り手自身ではないだろうか。

 その野望は野原家によって否定されてしまう。劇場公開当時の『オトナ帝国』のメインターゲットは普段『クレヨンしんちゃん』を見て入る家族であったと推測できる。そのため「普通」の家族がケンの野望を砕く物語は感動的な物語であった。

 しかし今この映画を見る人はおそらくかつて『クレヨンしんちゃん』を見ていた子どもも含む大人たちだろう。その大人たちは野原家のようになっているのだろうか。それともケンのようになっているのだろうか。もしケンのようになっていたのならば、この映画は昔と随分と意味が変わった映画となるだろう。

 私はこの映画と似た映画に『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』をあげる。こちらの映画も同様に、作り手の分身のようなキャラクターが今の社会に絶望し社会を変えようとする物語だ。

 私はかつて『ガンダム』が大好きだったが、いろんなことがあり精神的におかしくなってしまってシャアのような気持になっていた。この世界に逆襲したいような気分だった。そんな時に『逆襲のシャア』を見て、早まるのはやめよう。もう少し心穏やかになろうと思った。

 今度ケンのような気持になった『クレヨンしんちゃん』を好きだった人が『オトナ帝国』を見て、気持ちが変わることがあるかもしれない。

 

 

 

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私は以前『レディプレイヤー1』を批判した。

しかしこの映画は『レディプレイヤー1』とは異なる物語だと思う。あの映画はオタクが好きそうな懐かしいコンテンツが出ると宣伝して、オタクを主人公としておきながら、しあわせになった主人公にオタクを批判するようなことを言わせた。その発言は間違ってはいないが、それはこの作品を本当に必要としていて、そのために頑張っているオタクへの裏切りだと思う。

 

 『レディプレイヤー1』と比べると『オトナ帝国』がいかに公平な作品であったのかがわかる。タイトルからオタクが敵役で最終的にしんのすけにやられることを暗示させつつ、かつ物語ではなつかしさを描き、最終的にケンは破れるものの、破れたものなりの明日が示唆されている。

 少なくとも懐かしいコンテンツにまた会えるというふうな宣伝をし、感情移入させておいたキャラクターにオタクを裏切らせるような発言はしていないと思う。

 

 この映画の作り手はいつか『オトナ帝国』いや『クレヨンしんちゃん』自体が作中で描かれた懐かしのコンテンツになることをイメージして作品をつくったと推測させるが、それから19年たった2020年現在も『クレヨンしんちゃん』は放送されている。『クレヨンしんちゃん』が懐かしのコンテンツになる日が来るのだろうか。

 『クレヨンしんちゃん』以外にも『アンパンマン』、『ドラえもん』、『ちびまる子ちゃん』、『ワンピース』や『ドラゴンボール』、『ポケモン』など当時はやっていたものが今も続いていりする。

ガンダム』いたっては実際に動くガンダムを作るというリアルオトナ帝国のようになっている。

 コンテンツ全体には終わらないものが増えたりもしている

もしかしたら『オトナ帝国』は現代の子どもには通じない作品となりつつのあるのかもしれない。

 

 

 

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