音水信二のはてなブログ

NOVEL DAYSで小説を書いたり、noteでエッセイや思想的なことを書いたりしています。はてなブログではウルトラマン、仮面ライダー、富野由悠季を中心にヒーロー、ロボット、ゲーム、ラノベ、ネット小説などなんでもありで思いっきり語りったりしながら楽しんでオタ活していきます。コメントフォロー大歓迎!

『Zガンダム』感想「一握りの天才だけの力では世界は良くすることはできない」

 

 以前視聴した『Zガンダム』の感想を書きます。

それは「一握りの天才だけの力では世界は良くすることはできない」です。

 

Zガンダム』にはたくさんの登場人物が登場します。その多くは天才です。カミーユやクワトロ、シロッコハマーン彼らは普通の人間より優れた力を持っていました。

 

序盤で命を落としたカプリコンやライラも才能がとてもある人でした。カツやジェリドもです。しかし彼らは幸せをつかむことが出来なかった。

 

 天才として花開くことができたカミーユも、しあわせになることは出来なかった。

 

彼らがなぜあのようになったのかと言うのは『Zガンダム』の問いかけの一つだと思います。

 

 

 普通に考えれば「天才だけで何かするのではなく、普通の人たちと一緒に何かするべきだ」と考えるのが自然でしょう。

 実際普通に考えればそのような結論になります。

 

 

Zガンダム』は前作『ガンダム』で「みんなが覚醒するかもしれない」という希望を抱かせながらも、そうはならなかった未来を描いている作品です。

 

 これには現実の『ガンダム』制作後から『Zガンダム』制作に至る様々な過程を描いてい

ると言われます。

 

 

Zガンダム』が描いているものは「普通の人は目覚めないからあきらめろ」と言うことなのでしょうか。

 

 

私は『Zガンダム』から二つのことを感じ取りました。

 

一つは「すべての人が目覚めるかどうかはわからないが、目覚めるとしても時間がかかるから気長に出来ることを続けよう」

 もう一つは「目覚めない人とも一緒に生きていこう」

 と言うことです。

 

 普通ですが、とても難しいことです。

Zガンダム』や後の『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』で描かれたように、相手に期待し、期待したどうしようもない人に裏切られたと思い、辛くなって、追い詰められておかしくなる。そういうことになりがちです。

 

 カミーユ、クワトロ、シロッコハマーンのような優秀な人たちが集まって、新しい世界を作ろうとしても上手くいくことは少ないです。

 

 優秀な人には、現状でも幸せに生きていける人もいれば、現状に不満を持つ人もいます。

 世界を変えようと思うような行動を行う人たちには現状に不満を持つ人もいます。

 不満を持つような人たちは優秀なだけに、生きているなかでたくさんの悲しみや憎しみを持ちます。

 優秀だからこそ、カミーユのように頑張って、いつの間にか歪んでいきます。

 

それは一部の人が社会の病気を吸い込んで、社会を浄化していると言えるかもしれません。

 毒を吸い込んで、狂った人が何か恐ろしいことを起こした際、まるでその個人が悪いかのように言われます。

 しかし見方を変えれば、その個人が狂うまで、社会の病気を吸収してくれたおかげで、他の人が普通に生きてこられたとも言えます。

 

 

どんなに能力がある人でも、社会への憎しみや、怒りがある限り歪んだものの見方をしてしまいます。

 むしろ理想的な何かを実現するには、歪んでいな人、言い換えれば、追い詰められてない人材、言い換えれば社会性がある人が必要です。

 

 カミーユらは能力はあっても歪んでしまった。それはカミーユらが悪いと言うより、そういう社会だったからです。

むしろカミーユらが歪むまで頑張ってくれたおかげで、他の人が歪まないでいられた。

最近は歪んだり、怒ったり、ひねたりしている人が、「良くないもの」として社会からミュートされる傾向にあるそうです。

しかしそれはとんでもないことで、その人たちが苦しむまで頑張ってくれたおかげで今があるのに、都合が悪くなったら、関わらないようにするというのはあまりに無責任な話です。

 

ならばカミーユらはどうすれば良かったのでしょうか。その回答は劇場版『新訳 Zガンダム』で行われます。

 『新訳』ではカミーユは、『テレビ版』と同じくシロッコを倒したものの、シロッコに魂を持っていかれていません。

 これはカミーユが社会の病気を吸収しすぎるのをやめた。すべてを自分に責任だと思わなくなったからできたことです。

 『テレビ版』人類の未来を背負うニュータイプとして思い荷物を背負っていました。しかし劇場版ではそれとは違う、周囲の人を大切にするニュータイプとして生きようと思い、生き延びることが出来ます。

 

 

 

私たちが生きる現実でも良い人ほど様々なものを背負うとして心を壊し、時に死に急ぎます。

 その結果、悪い人が出世して力をつけていく、嫌な世の中です。

 しかし、それに引っ張られ過ぎると、自分も壊れてしまう。

気長に出来ることをするしかありません。

 

 

 

 私は「優れた人の導きによって社会を良くする」と言う考えには同意できません。

 

なぜならば人の言うことを無条件で聞く人などは、悪い人の言うことも聞くからです。

 例えば子どもに良い人になりなさいなんて言うのは絶対にしてはいけないことです。そんなことをしたら悪い人にとっても良い子になってしまいます。

 

 のちの富野作品でば『ターンAガンダム』は、どことなく優れた人によって導かれることで世界が良くなるかのような希望を持っている節がありました。

 

 しかしそれ以降の作品ではそのような要素は薄いです。

 

 

『Gのレコンギスタ』では作中の世界でも、現実の世界でも「長く待て」と言われています。

 

 

この作品が評価されるのには時間がかかる。この作品が好きな人はそれまでは世界を見放すなと。

 

 

Zガンダム』と言う作品は『ガンダム』が自分の思った形で社会に受け入れられなかった悲しみから出来ている面があります。

 

しかし『Zガンダム』と言う作品は『ガンダム』のたった7年後に作られたのです。『ガンダム』の人気が未だ衰えないことを考えると『ガンダム』が理想の形で社会に受けいれられなかったと悲しむのは早すぎたのかもしれません。

もちろんそれは富野由悠季を初めとするたくさんの人たちの努力のおかげです。

 

一握りの天才によって導かれる形では世界は悪くなります。

なぜならば導かれる必要があるような世界の現状は良い状態ではありません。それが長く続くのは「良くない状態」の方が得をする人が権力を握っているからです。

 

誰かから導かれて社会を良くしたいと思う人など、「社会が良くない状態であることで得をする人」によっておかしな方向に導かれるのがオチです。彼らは100%善意で社会を悪い状態のままにしようとします。

 

そうならないためには社会の形自体が変わるもしくは、社会の普通の人が少しずつ賢くなる必要があります。

 

そのための手段の一つとして作り手が作品を作り、読み手が楽しむことはとても意味があることだと思います。

Zガンダム』や『Gのレコンギスタ』のようなをすぐれた作品であればなおさらです。

 

 社会が良くなるために行動しつつも。例え行動したところで社会が全く良くならなくても自分で背負い込まずに、気を長くして生きていきたい。

 それが私が富野由悠季作品から感じ取ったことです。

 

 

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『劇場版 GのレコンギスタⅠ Ⅱ Ⅲ』感想。

 

 『劇場版Gのレコンギスタ』はテレビ版『ガンダム Gのレコンギスタ』と比べて良くも悪くもわかりやすくなった。

 良くもと言うのはわかりやすくなったということ。

悪くもと言うのは説明セリフがくどく作品の魅力が損なわれた(ように感じる)という意味だ。

 どちらの意見も理解出来るし、両方を感じている。

 

 私も始めは劇場版を見るのが嫌だった。

なぜならば無料公開されていた劇場版Ⅰの冒頭で追加された説明セリフがくどく、心配になった。テレビ版が大好きだからこそ、劇場版を見れば何か大切なものを失ってしまうように感じた。

しかし実際に視聴してみたら説明セリフがくどいのは冒頭のみで、それ以外の場面はあまりくどくなかった。

 

少なくとも、パッと見た中では違和感がある説明セリフなどは冒頭以外なかった。

 

 劇場版の宣伝として、冒頭のみ無料公開と言うのは『劇場版』が誤解されてしまう原因を作っているように感じる。他にも宣伝では『劇場版』と『テレビ版』を比較して、どこが変わったかを見せるなどが行われているが、『Gのレコンギスタ』の根幹、大切な部分は「変わっていない」ところではないだろうか。

 

 『テレビ版』、『劇場版』ともに宣伝面で予算問題や監督の発言の切り取られ方、枠の確保など、プロデュース面が成功と呼べるのか疑問ではある。

しかし実際完成した作品は素晴らしい、『テレビ版』、『劇場版』含めて、どちらもとても素晴らしい作品だ。

 

 

 『劇場版 Gのレコンギスタ』はわかりやすくなったと言われているが、具体的にどこがわかりやすくなったのだろう。

 私はキャラクターが何を思っていたかをセリフにして言ってくれるようになったことだと思う。

 

 『TV版』から、とても難解だと思う人も、そう思わない人もいた。

感想を見て感じた印象ではわかりやすいと言っている人はキャラ単位で何をしようとしているのか、

わかりにくいと言っている人は組織単位で何をしようとしているのか

を見ていると感じだ。

Gのレコンギスタ』に登場する組織はとても現実的で、複雑だ。

 

『初代ガンダム』はジオンが悪で連邦が正義ではないと言う価値観をアニメにしたと言う評価がされがちだが、

何となくアムロに感情移入して見た時、ジオンが敵で連邦が味方だと見ることが出来る。ジオン好きな人もいるが、彼らからすればジオンが味方で連邦が敵であり、敵と味方と言う発想から抜け出せていない。

『初代ガンダム』本来の意図は、連邦もジオンも味方とは言い難い中でどうやって生きていくかと言うお話のはずだ。

 しかしわかりやすさを優先するあまり、単純に片方が良くて、片方が悪いと言う見方を用意している。そのため安易に見ればそのような感想を抱くし、結果として安易に見ている人が多すぎる。

劇中の演説を聞いて興奮していたり、ジークジオンと叫んだりしているのはその良い例だろう。

 

 

 

『Gのレコンギスタ』ではベルリの目線に立てば、キャピタル・ガード(アーミィ)、トワサンガ、海賊部隊(アメリア)がどれも味方であり、アイデンティティであると言うこともできる。

しかしそのうち、ベルリがどれに帰属意識を持っているのかは、初見では良くわからない。おそらくベルリ本人も良くわかっていない。

そしてベルリの帰属意識とは関係ない、マスクらクンタラ部隊も、ビーナス・グロゥブも、ジッド団も悪役とは感じにくいように出来ている。

 

『Gのレコンギスタ』は『初代ガンダム』とは安易な見方をして、何かが善で何かが悪だとは言い難いように出来ている。

その反面逆に組織単位では「安易な見方」自体が出来ないようになっていると考えることが出来る。このあたりが『Gのレコンギスタ』が難解だと言われる理由だろう。

 

 

しかしテレビ版から一貫して、キャラクター単位で見ると、つまりベルリ、アイーダ、ノレド、クリム、マスク、マニィが何を思っているのか、何を求めているのかがという気持ちがとてもわかりやすく書かれていており、彼らの気持ちに寄り添えるように出来ている。

 

 

寄り添うというのは、キャラクター一人一人が等身大の感情を持っているから出来ることだ。良い人過ぎず、悪い人過ぎない、

 

「自分が他人からどう思われたいかと言う理想」と「現実の自分」のギャップを感じ、それを埋めるために頑張ろうとしている姿を描いている。そして彼らが求めていることが正しいとは描かれていない。

 

普通の売れ筋の作品では「《正しい》主人公の欲が満たされることで、観客まで満たされるような気持ちにする。

 

それは幻だ。「共感できるのが良い、泣けるのが良い、勇気をもらえるのが良い」それらの作品を否定はしない。時にそういうものが必要な時もある。

 

しかし『Gのレコンギスタ』が目指したのはそれとはまったく別のものだ。『Gのレコンギスタ』は見ていて気持ち良くなるアニメだ。映像は綺麗で、動き一つ一つに感情が動かされる凄さがある。バトルシーンはもちろん、人物のシーンも風景だ。

 

象徴的なのはTV版のED、Gの閃光や劇場版ⅢのED Gの映像などでしょう。あくまで私の感性ですが、それ以外の場面一つ一つとっても見ていて心地よくなるような画面になっている。

 

 一方で普通の売れ筋の作品であるような「《正しい》主人公の欲が満たされることで、観客まで満たされるような気持ちにさせる」と言う方式はとっていない。

ベルリの好きな人に振り向いて思いたいという動機、(言い換えれば)欲を視聴者は理解できますが、万人が感情移入は出来るものではない。

アイーダもクリムもマスクもマニィ、ノレドですら彼らの動機、欲を理解できるし、共感も出来るが、何の疑いもなく正しいとは思えない。感情移入して正しいとは思えないものだ。

 

Gのレコンギスタ』に対する否定的な意見として「登場人物に感情移入できない」と言うものもあるが、そのように作っていないので当然ではある。

中には「ベルリがサイコパス」だと言いう人アンチもいます。サイコパスの定義自体あいまいなものなので、否定も肯定も出来ません。しかしそれは「自分が感情移入できないものはおかしい、バカにしても良い」と言っているのと同じだ。

しかしそもそも、巨大兵器に乗って敵兵を次々と殺していく主人公に感情移入出来るように作る方が問題があるとも言える。

 

Gのレコンギスタ』が目指したものは「《正しい》主人公の欲が満たされることで、観客まで満たされるような気持ちにするビジネスモデルからの解放」と

登場人物や登場組織に感情移入、自己投影するではなく、共感、理解するという作品の見方の普及のための作品ではないだろうか。

 

なぜそのような作品が必要なのか、それは作品をどのように見るかが、その人が世界や周囲の人をどのように見るか深く影響を与えるからだ。少なくとも本作の監督富野由悠季は自分が作ったロボットアニメが視聴者にどれほどの影響を与えたのかを感じていたでしょうし、彼を慕い制作に参加した人たちも自分がどれほどの影響を受けたのか自覚していただろう。

私だってアニメや特撮と言った子ども向け作品から多くのことを感じた、それが生き方にまで影響されていた時期が少なくとも過去にはあった。これからのことはわかりませんが、もしかしたら今後も長い間続くかもしれない。

 

 そのような人に大きな影響を与える作品が安易な金儲け主義に走って良い道理がない。正しいとされる人が勝利し欲望を満たされて喜ぶ、そんなもの「ばかり」を正しいと思って見ていれば、その人は「自分が正しいと思うものが勝つこと」ばかり求めるようになる。

 

しかし単純なものはない、それを受け入れられずにいれば、「自分が正しいと思うものが勝っていること」以外の事実が見えなくなり、社会を歪んだものの見方でしか見ることができなくなる。だからこそ自分が何を見るか、何を作るかと言うことは大切なのだ。

 

 

 一つ補足すればそのために作品の表現を規制することは賛成できない。そのようなことをすれば「正しさ」を盾に、例えば、子ためを守るためになどの理由で権力者にとって都合や良いものが消されていくだけだ。エロと子どもを傷つけるためのものの規制と言う理由で権力者にとって都合が良い規制法が出来ることは良くあることですし、そのような愚かな歴史は繰り返してはいけない。もちろんそれとは別に子どもを守ることもとても大切なことだ。

 

Gのレコンギスタ』は難解なので大人向き、中には「富野由悠季の同じ年になった時に見れば楽しめる」と言う人がいますがそれは違う。

決して難解な作品ではない。そう感じるのは「アニメとはこうでなくてはならない」と言う固定観点が強すぎるから起きることであって、それを払ってみれば楽しんで視聴することができる。

むしろこのような作品を幼いうちから見ることで古い固定観点に捕らわれずに物事を楽しむことが出来る。その点で『Gのレコンギスタ』は子ども向け作品と言えます。

 

 

『テレビ版 ガンダム Gのレコンギスタ』は登場人物の気持ちすら、自分から察しに行かないと教えないとわからないものだった。それは登場人物の気持ちを推理、理解することが得意な人と苦手な人の間で作品の楽しみ方に溝が出来てしまうものだった。

『映画版 Gのレコンギスタ』では登場人物の気持ちのみ、わかりやすくなった作品だ。それにより登場人物の気持ちを推理、理解することが苦手な人でも楽しめるようになっている。登場人物の気持ちを理解した上でその気持ちに寄り添うことが出来るようになるのだ。

劇場版もテレビ版と同じように複雑な要素も多いです。しかしキャラの気持ちがわかりやすくなったことですべてがわかりやすくなったような気がしているのだ。

ここら辺は私たちが作品を見る際どこに視点を向けているのかに関係するかもしれない。現実を舞台とした物語を見る時、私たちは現実の世界の仕組みのすべてを理解しているわけではない。しかしだからと言ってそれが難解だとは思えない。そのような現象も関係しているのかもしれない。

 

 『Gのレコンギスタ』で行われたキャラクターの気持ちだけをわかりやすく書くことで、それ以外のすべてがわかりやすくなったように改変する。

そもそも、そのような改変を行うこと自体が希なのであまり聞いたことがない例だが、とても参考になる話だと思う。

 

 

私は『Gのレコンギスタ』のような、作品を見る人のことを思いやった考えた作品がとても好きだ。劇場版も含めて今後の展開がとても楽しみだ。

 

 

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なぜブログを書いているのか。なぜ『ウルトラマン』富野由悠季作品、『仮面ライダー』を好きになったのか

 私はなぜ『仮面ライダー』が好きになったのでしょうか。私が『ライダー』にハマったのは小学6年生の時です。それから『鎧武』最終回を見るまでの中三の途中まで『ライダー』にハマっていました。その後は少し見たりもしましたが、それぞれ数話しか見ていません、   

『ジオウ』は白倉プロデューサー、武部プロデューサーが参加されると知り、一話から最終回、そして劇場版3作も含めてすべてみました。とても楽しかったです。それにより私はライダーへの愛と熱意を満たすことが出来ました。とても楽しい経験だったと思います。

初めて見たライダーは『オーズ』と『ディケイド』と『電王』を同時並行で見始めました。その後『剣』、『響鬼』、『キバ』、『カブト』、『クウガ』、『W』、『J』をレンタルDVDで見ました。『BLACK』と『RX』はニコニコでの公式配信で視聴しました。『ZO』はDVDを購入して見ました。

オンタイムで視聴したのは『ウィザード』と『鎧武』です。『鎧武』は当時中学2年生だった私が見たかったライダーを見せてくれました。とても嬉しかったです。

『アギト』、『龍騎』、『555』、『フォーゼ』と『ドライブ』から『ビルド』はたまたまケーブルテレビやオンタイムで放送されていたのを見たり、配信をチラチラ見たりはしていましたが、通しでは見たことがありません。いつか見たいと思いますが、今はそのタイミングではないと思っています。

 

私が『ライダー』を好きになった理由は大人っぽさを感じたからです。

当時の私にとって社会との一番強い結びつきは学校でした。しかし私は学校でいじめられていた。そんな私にとって社会と二番目に強い結びつきは書籍やネットを通して特撮とアニメを語る人たちでした。

一番現実感を抱いていたのもそうだったのです。大人になってもずっと仮面ライダーウルトラマンガンダム、漫画やラノベやゲームの話をしている人たちでした。

 逆に言えばそれ以外に社会とのつながり方を知らなかったのです。それらの作品はそんな私を守り、大海原を旅するための船であり帆であり、盾にも剣にもなりました。

 現在放送されている最新作を視聴することが出来なかったことに後ろめたさになっていました。

しかし仮面ライダーでは『鎧武』と『ジオウ』

ウルトラマンでは『オーブ』と『Z』、『ダイナゼノン』

富野由悠季作品では『Gのレコンギスタ

をそれぞれ最新作として視聴することができその後ろめたさも解消されました。どの作品も面白かったというのが解消された理由だと思います。

 

 私はこれまでブログ『仮面ライダー』や『ウルトラマン』、富野由悠季作品を書いてきた理由それは、社会と関わる一番現実感がある方法がそれらを語ることであり、大人なった証としてそれらを語っていました。

 

 嬉しいことに今の私にはそれらを語ること以外でより現実感がある社会とのつながり方をすることが出来るようになりました。

 かと言ってこれからも『ウルトラマン』も富野由悠季作品も『仮面ライダー』も大好きです。私に何かが起きた時、それらの作品は私を守ってくれるでしょう。

 私には今したい楽しいことがたくさんあります。そう思えるようになったのは、それらの作品があったこと、語った人たちがいてくれたこと、そして自分が語った内容を受け取ってくれる人がいたからです。ありがとうございました。

 

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『SSSS.GRIDMAN』理想の六花と「現実」のアカネ。

 以前『SSSS.GRIDMAN』に関する記事を書き自分の解釈を書きました。間違った解釈のなど存在しないのですが、当時の解釈よりも一段階深い解釈が出来たと思うのでブログにします。

 以前、「六花は現実の象徴で、アカネはフィクションの象徴だ」と言う趣旨のことを書きました。しかし実際には「六花は現実での理想」であり「アカネは現実のフィクション」だと思います。

 言い換えれば六花は「私がもし理想的なリア充になれるのならばこんな感じになりたいな」で

アカネは「現実の私(根暗のオタク)だけど、周りからこんな風に思われたいな、こんな力を持っていたいな」

 ラノベの主人公で例えれば六花が「お金持ちの家に生まれた超絶イケメンでリア充グループだけど、人付き合いとか好きじゃないし、クールに振舞っている系」で

 アカネは「容姿も悪いけど、実は隠された力を持っている。さらに自分では容姿が悪いと思っているけど、自身がないだけで実は容姿も良い系」だということです。

 

より詳しく書きましょう。

 これは私の想像ですが、

  現実のアカネ(であり六花)はオタクです。オタクでありながら非オタクで所謂リア充っぽい人たちへの憧れを持っています。

 そんな現実のアカネにとっての理想の一つがアカネ。自分と同じようにオタクであり、怪獣のフィギィアを大量に持っており、さらに造形もこなせるようなすごいオタク。自分に自信がないように思っているけど、実は裏でめっちゃかわいいと話題になっている。

 そんな形の理想。

 もう一つの理想が六花。

 それはそもそもオタクではない可能性。オタクとかと全く縁がなく、流行りの曲とか服とかが好きな普通の人。めっちゃかわいい。いわゆるリア充っぽい友達もいるけど、クールでカッコ良い、やれやれ系。自分からガツガツ行くタイプではない(だってそうしないと感情移入できなくなるから)。地球の平和を守るけど、積極的にガンガン行くわけではない。恋愛に現を抜かすわけではないけど、でも好かれる、そういうおいしい役回り。

 

 どっちも理想で、どっちも真実なのです。

『SSSS.GRIDMAN』とは一人の女の子が六花とアカネの二つに分かれて、二種類の願望を満たす物語だ。と言うのが2022年1月14日現在の私の解釈です。

 

 後数年したら、新たに解釈が増えるかもしれません。その時はまたブログを書きます。

 

同じようなことを男性に置き換えたのがでは『SSSS.DYNAZENON』ないでしょうか。こちらもとても素晴らしい作品でした。『GRIDMAN×DYNAZENON』がとても楽しみです。

 

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とある日の一Gレコファンのつぶやき

 Gレコは「作品は良かったけど、声の大きい人に潰された系」
 
 難しいところもあるけど、難しいから駄作なんて普通は言わない。難解な作品が好きな人も多くいる。

 単純に合わない人が「理解できない(わかろうとしない)自分が悪いんじゃなくて、作品が悪いだ」と事後防衛するために叩かれた印象。

富野由悠季が好きだけど、Gレコが面白くないと感じることは悪くない。
 しかし富野監督自身が「これまでの作品はダメでGレコこそが正しい」みたいなことを事前の宣伝で言ったせいで、Gレコを面白くないと感じた人の一部 を過剰なGレコアンチにしてしまった。

 

Gレコが叩かれた理由は、富野由悠季が「挑発するようなこと」を言ったのと、その「挑発」に乗るような、自分のアイデンティティを特定の作家に依存しながらも(別にそれ自体は悪いことではない)自分が理解できない新作が発表されたときにそれに向き合わなかった人たちが大きな声で批判しまくったこと。富野由悠季のインタビューもそういう声が来そうなことあえて言っているのか、恣意的にそういう記事にしたのかは不明だが、結果としてGレコが放送前から批判されるような結果を招くものだった。

それも含めて作品の楽しみ方と言えるかもしれない。

 

しかしその結果Gレコを見て普通に楽しんでいる人まで嫌な思いをすることになっている。
 

なんとかならないのかな。

 私にこれから出来ることは、Gレコ良いよと数十年単位で言い続けることだろうか?

 

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久しぶりにZガンダムを見ました。

 TV版は小4年ぶりの視聴でしたが、記憶と少し印象が違いました。

 カミーユは思ったより普通な性格ですし、エマさんは記憶よりクレイジーでした。

Zガンダム』は私にとって大切な作品なのでまた視聴できて良かったです。

 

 カツもいいキャラです。「カツよ、同年代のニュータイプだったらサラよりキッカの方が良くないか」いいたくなりましたがそれも含めてとても良いキャラクターでした。

 

 ところで毎回EDのスタッフクレジットで、ブライトやジェリドの名前が出ていましたが、あれは兼役で毎回出ていたのか、それとも出てなくてもクレジットに乗せることになっていたのかどちらだったのでしょうか。詳しい人に教えてもらいたいです。

 『ZZ』と『V』もちょっとずつみたいなと思っています。

 

 

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SSSS.DYNAZENONを4話まで見ました。空っぽになるまで楽しんだのは久しぶりです。

 SSSS.DYNAZENONを昨日2話、今日3話と4話も見ました。めちゃくちゃ面白かったです。キャラクターが魅力的なのはもちろん、演出がとても好きです。最近のウルトラマンはどうしても実写であることから現場の都合か、凝った演出や編集が行いにくいところがあります。しかしSSSS.DYNAZENONではアニメであることを生かして見ていてとても気持ちが良いテンポになっています。アニメの制作事情に詳しくないので、演出の力なのか、編集の力なのかはわかりませんが、見ていてとても気持ち良かったのは確かです。これはすごい。

それと都合の良い悪役が出てこないという点も好きです。

4話を見終わった後久しぶりに、アニメに熱中しすぎて、終わった後に自分の中が空っぽになるような感覚を味わえました。

これは作品が面白いこともありますし、私の精神状態がだいぶ良くなってきた証拠でもあると思います。まだまだ辛いことはたくさんありますが、少しづつ前に進んでいけた良いなと思っています。

 

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