音水信二のはてなブログ

note https://note.com/otomizusinnzi/ やTwitter @quGbaUmdpQraIar で活動していました。

Official髭男dism『pretender』の歌詞がすごい。


Pretenderという曲の歌詞がすごいと思ったので語りたい。 

普通に聞いたら片思いの歌、失恋の歌、別れた相手のことを思う歌のように聞こえる。

またドラマ『コンフィデンスマン』jpの劇場版の主題歌でもある。ドラマの内容と合わせて考えれば、詐欺師と一般人の恋愛の歌とも受け取ることもできる。
 
それらの解釈は間違ってはいないだろう。そもそも解釈とは人の数だけあるものだ。

そのことを書いた上で私なりの解釈を書こう。
 
留意点だが私は髭男dismについてあまり詳しくない。
そのため髭男dismのファンの方には「そうじゃないんだどな」と思われるようなところもあることを留意して欲しい。

 

それでは初めていこう。

 

 この歌は舞台の上に立つ人と観客の歌である。そしてそれは歌い手である髭男dismと観客の恋愛の歌である。

つまりこういうことだ。
1この歌は、歌手がファンに向かって歌っている恋文だ。

2歌手はファンのことが好きだ。応援してくれてうれしい。

3ファンは歌手をめちゃくちゃ愛している、なんなら付き合いたいとか、結婚したいと思っ
ている(と歌手は考えている)。

4歌手はファンの気持ちはうれしいけど、答えられない。

5でも、離れていかれたら困る。これからも応援してほしい。
 一言でいえば「君とは付き合う気はないけど、これからも好きでいてくれると嬉しいな」という歌詞だ。
 言い換えれば「ファンの運命の人にはなれないです。でもたまになれたらいいなとも思います。でも本当のところあなたは私の舞台の上の姿しか知りません。演者と観客です。でも離れて欲しくありません。これからも応援してほしいです。あなたはきれいです。」ということになる。

 そう思って聞いてみると歌詞のすべてがはっきりと理解できる。

まずは一番の解釈をQ&A方式で説明していこう。


Qなぜ「一人芝居」なのか?
A相手は観客席におり、舞台にはいないから。

Q「ただの観客」なのは誰か?
A聞き手だ。


Q なぜ「アイムソーリー」の「感情がない」のか?なぜ「いつも通りなのか」? 
Aいつものように歌を歌っているからだ。

Qなぜなれると悪くないのか? 
A 大人気バンドになれて、金も(女も)地位も名誉もあるからだ。

Q「人生柄」って? 
A バンドマン、芸能人、芸術家としての人生。

Qもっと違う関係で愛を伝えたいなら普段はどんな風に伝えてるの? 
A CDとか動画とかライブとかで歌ってる。

Qなぜ君にとっての僕の答えがわかりたくもないのか? 
A 舞台の上で演奏していたり、歌っていたりする自分たちは虚像(ファン向けに作った自分)に過ぎない。それは嘘ではないが努力や試行錯誤した末に生まれているものであり、ありのままの自分ではない。
 だから私のことを愛してくれているみたいだけど、それは本当に僕のことを愛してくれているのかな。突き詰めていくと音楽をしていたり、写真やポスターの私が好きなだけで、本当の私はあなたに愛されていないのかもしれないから。

(別の解釈 あなたは観客で金を払ってくれるお客様だ。応援してくれているのはうれしい。あなたたちに向けて愛の歌を歌ったりもするけど、それ以上の関係にはならない)。


歌詞をなんとなく聞くと失恋の歌のように聞こえる。しかし意識してみると歌詞全体に違和感が生まれる。しかし「君は綺麗だ」と言いくるめられてしまう。
どうだろうか私が思うこの曲のすごさが伝わっただろうか。この歌はまるで純愛の歌のように言われている。それこそが歌詞の凄さだ。

ちなみにコンフィデンスマンjpとの主題歌であることを考え、詐欺師の恋愛の歌のと考えるとは詐欺師とは歌い手である髭男dismのことになる。別にけなしているわけではない。すごいと言っているのだ。しかしそこで止まってしまうともったいない。もっと掘り下げて考えてみるとより言葉を楽しむことができる。
そもそもpretenderとはふりをする人という意味である。ふりをする人とは誰か、簡単だ髭男dismである。
歌手はいろんな思いを歌に乗せって歌ってる。その思いは全部本当だ。本当のことを増やしたり、減らしたり、膨らませたりして作品を作っている。そのため言葉通りにとってしまうと矛盾が出る。それは見方を変えたら作品で言っていることが全部嘘とも取られてしまう。よく言われる「この作品とこの作品で言っていることは矛盾がありますよね」というやつだ。
確かに、例えば一万人向かって「お前だけを愛している」といえばそれは嘘にはなるとも言えるかもしれないが、別に矛盾しているわけではない。
 歌っている側からすればお前だけを愛しているのは事実なのだ。

 

それでは二番に入ろう。二番は文章で説明する。

二番には二通りの解釈を用意した。

 一つ目は一番の歌詞を踏まえた上で、自分の恋愛観を語っているというものだ。
恋愛の論理っていうけどわからないよな。誰かに思いっきり好きっていいたいな。でも俺アーティストだし、そういう恋愛は(まだ)できないな。さみしいな誰か俺を愛してくれる人はいないのかな。誰もいないな。
そして最後に、これがバンドマンとしての務めだけど、それも悪くないな。これからも音楽活動頑張っていこう!。というものだ。


 もう一つの解釈は、アンチラブソングとしての解釈だ。
 なんかいっつも偉そうにラブソング歌ってファンをきゃーきゃー言わせて人気になってるバンドあるよね。でもそれってなんか変だよね。
 俺もそんな感じで無責任に愛とかを語れれば良かったな。(もしくは語れる相手がいればよかったな。)そんなこといっても空しいよね。俺も愛の歌を歌おう、ウケもいいからね。そういう生活も悪くないよね。


以上が私なりのpretender解釈だ。


特別コーナー

 さて最後に全部ひっくり返して記事を終わろう。
運命の人という言葉がある意味あいとしては「運命」の「人」であればすべて運命の人ではあるが、『pretender』の中では恋愛的な意味でしか使われていない。しかもその意味すらも、恋で結ばれてずっと一緒に所謂伴侶になる的な意味でしkない。

変な話だこの歌を聞いて楽しんでいるなら、僕にとって「髭男dismは運命の人だ」ということは可能だ。何時間も特定の作り手のものを受けて、好意を持つならばもう作り手の作品は受け手の血肉となっているといっていい。それは運命の人だということができる。なのになぜわざわざ運命の人でないと歌っているのか謎だ。
 

たぶんそっちのほうが盛り上がるからだろう。もしかしたら「そんなことないわ、あなたの運命の人は私よ」って言ってもらいたいのかもしれない。
そう聞くとツンデレののろけ歌にも聞こえてしまう。
(/ω\)「べ、別にあなたの運命の人ってわけじゃ、ないんだからね」ってやつである。


私たちは存在するだけで様々な人と関わることになる。つまり世界中の人は世界中の人の運命の人だ。

その中の特に濃いかかわりの人を運命の人って言うんじゃないか。そうかもしれない。しかし関係の濃い薄い、強い弱いなどを判断するのは誰なのだろう。それは主観でしかない。

客観的に見ることが可能なのかはわからないが、客観的に見た場合、過去、現在、未来すべてとか、遠い宇宙全体とか、パラレルワールドとか多次元とかと運命の人かもしれない。
 
それらが本当に存在するのかはわからないが、仮にどこかにそういう世界があるなら、なんらかの関わりはあるものだろう。

そう考えるなら、「俺の運命の人はお前だ。お前の運命の人はこの俺だ!」ってことも言える。間違ってはいないと思う。そういう図渦しさを忘れずに生きていきたい。

(4月11日)