Gレコ 感想第三回 第十二話まで
Gレコ11話まで見ました毎日一話ずつ見ているので、視聴し終わるまであと半月ぐらいかな。
冗談抜きで面白いです。ファーストガンダムやガンダムXも大好きなのですが、それらに負けないぐらい面白いし、本気で希望のために作っているというところがあって面白い。
ロボもけっこういいですし、キャラが素晴らしいですね。エンディングで踊っているみなさん、出番は少ないはずなのにキャラが立っていて親しみを持てるのはすごいと思います。
マスクもね、負けてばっかりだけど、なんか好きです。EDから察するに悪いじゃないんだろうけど。ただエンディングに出ていてもて死ぬ可能性もあるからね。マスクの幸運を祈ります。
天才中尉と仲間のお姉さんは、ランバラルとハモンさんを主人公と同年代にしたみたいなポジションだなと思いました。
ラライヤマンディはイデオンに出てくる幼児を主人公と同年代にした感じがします。
こういうところからGレコって主人公と同年代の人に向けて作っているんだろうなと感じました。
あと、一番気になったのは、Gレコってニュータイプを肯定しているなというところです。ニュータイプといえば、近年のやつではなんか変な方向になってしまってますし、逆に安彦良和さんのオリジンでは否定されようとしていました。
Zガンダムや逆襲のシャアではニュータイプだからって能力を上手く使わないとしあわせになれるとは限らないぜという感じでしたが。
なぜGレコではニュータイプが肯定されていると思ったか。それは作品として、感覚的に見ないとわからないようになっているからです。Gレコにはわかりやすい説明は比較的少ないです。もちろん必要な分の説明はされているので、普通に見ていても理解できないということはありません。
しかし全体的にあえて説明しない。自分たちで理解しろという作品自体の姿勢は、視聴側が「自己流ニュータイプ」になって自分の感覚と理解力、直観力を信じることを要求しています。
それはGレコがニュータイプを肯定し、作品自体がニュータイプ養成アニメとして作られているからではないでしょうか。
ただしGレコを「自己流ニュータイプ」として見たところで、ガンダムに出てくるようなニュータイプになれるかはまた別の問題ですが。
あとはバックパックも面白い設定ですよね。
一二話時点ではベルリは基本的にバックパックを使いこなせていないですし、ラライアもあんまり好んではいません。
ベルリは身軽のほうが好きみたいですね、重荷なのはいやみたいです。
ベルリにとってバックパックは周囲の環境、主に大人たちが与えてくれるものです。
それによってベルリもガンダムも色を変えるもの、使いこなすことができないし、すぐ外してします。ただしそれによってベルリは守られていますし、周囲の人を助けることもできます。それは大人の価値観への反発を表していると同時にたくさんの周囲支えられていることを表しているのではないでしょうか。
あとラライアがバックパック嫌がっているのは、おそらくGセルフは本当は兵器じゃないからじゃないかなと思いました。こちらは妄想ですが。
おそらく最終決戦ではすごいバックパックを使いこなした上で、あえてそれを外して素のGセルフで戦いベルリが何かをつかみ取るのではないでしょか。
続きが楽しみですね。気が向くか、視聴し終われば続きを書きます。
(2020年4月8日)
noteにGレコの主題歌『Gの閃光』のことが好きだという記事を書きました。