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『Gのレコンギスタ』がなぜ専門家先生方からの援護がなかったのか分析

私は『Gのレコンギスタ』の一話を見た時に圧倒的な明るい何かオーラのようなものを感じました。そしてそのまま全話楽しく視聴しました。
少しわかりづらいところや本編を見終えた後教えられてびっくりした設定もありますが、本編やEDの映像とこれまでの富野作品の知識や富野語録を元に特に不自由なく視聴できました。
初見時の感想一覧はこちら

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 一部のまとめサイトでは叩かれたりしていましたが、それは富野監督が余計なことを言ったからだと思いました。
 『Gレコ』アンチ分析はこちら

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 そのため某富野作品を語ったりした本を書いている人が「メモを書きながらでないと理解できないような作品」と言っていたりしたことを知ってびっくりしました。
 実際には、本当にメモを書きながらでないと理解出来ないのではなく、プロレス発言で自分が面白いことを言って、相手の発言を引き出そうとしていたのだと思います。
 しかしそういう言葉遣いを選んだのには、そういう雰囲気の内容を伝えようとする意図があったと思います。

 そんな時見かけた、某アニメ解説者の「俺でもわかりにくかったから、普通の人が見たらもっとわかりにくい(よって続きは見ない)」という発言を聞いてしっくりきました。なるほどそういうことだったのかと。
 厳しいことを言えば富野由悠季が作っている作品は全部面白くて当たり前です。キャリアあるプロが、スタッフを集めて作っているのです。普通に作れば面白い作品になるに決まっています。そのため面白い作品を作ったところですごいとは素直に言いにくいのです。とても面白くて当たり前で、普通に面白いぐらいは失敗で、面白くなかったらおかしい。ぐらいのものです。
 あくまで私の予想ですが、大物監督の作品や人気作品ほど安易に褒められないのではないでしょうか。そしてこれまで富野由悠季を応援してきた立場ある評論家は『Gのレコンギスタ』が安易に褒めにくくなり、自分が褒めるレベルに達していない。そのため『Gのレコンギスタ』はダメだと思ったのではないでしょうか。※あくまで私の推測ですが。
 私は生まれていないので何とも言えないのですが、おそらく『ターンエーガンダム』とかそれまでの作品もそういう扱いを受けていたのではないでしょうか。
 
しかしそれは前世紀において『機動戦士ガンダム』さらに言うなら「特撮」、「アニメ」、「漫画」「ショートショート」「SF」などが、お偉いさん方に不当な低評価を受けていたのと同じことをしていると思うのですが。それを若い世代にすることは特撮、アニメ、漫画、ショートショートファン、SFの(本元問わず)ファンとしてどうなのでしょうか。
 
気持ちはわかります。私は金目当てで活動するYOUTUEBRやインフルエンサー、自称漫画家、ティックトッカー、ソシャゲ会社たちのことはとても低い評価をしています。しかしそれをする上で彼ら世界があると思っていますし、昔自分たちの好きなものが不当な評価をされてきたことを忘れずいます。そしてかつて自分たちがされてきたような思いをさせないような言い方をしています。


話を戻しましょう。当たり前のことですが、自分がわからないと思っているからと言ってそれに価値がないわけではありません。それは『Gのレコンギスタ』も例外ではありません(反対に「『Gのレコンギスタ』はわけがわからない」というわけのわからない意見を言っている人の意見にも価値がないわけではありません)。

 実際には芸術作品や文学作品は、見る年によって違う発見があるが、あることが多いです。そういうことができるから名作なのです。

わかりやすくするために『ガンダム」』で例えましょう。
機動戦士ガンダム』は子どもが見たら「悪いロボットを倒す強い正義のガンダムかっこいい」と思います。もう少し年の行った子どもになったら「これはリアルなロボットアニメだ!。戦争がリアルに描かれている」となります。そしてもう少し年がいけばまた別の見方をします。
 『ウルトラマン』などの子ども向け番組では子どもに向かって「今はわからないけど、いつか大人になったらわかって欲しい」という思いを作品の中に込めて作ったりしていたりします。
 そして『機動戦士ガンダム』も『ガンダム Gのレコンギスタ』も子供向けアニメです(ただし大人が見ても面白いと思える作品です。子供向け作品は本来とても上質なものなのです〈もっとも金目当てのものや大人たちがラクしたいという思いで作られたものもありますが〉)。

 そのため優れた作品を作ったら、それはどの段階の人も「これはどういうことなのだろう」と精一杯考える作品になります。
 これがもうわかりやすい面白さがある話ならば、いろんなことを考えつつ、わかりやすい面白さを感じることができます。しかし『Gレコ』はそれがなかったので、どの段階の人も「これはどういうことなのだろう」と迷うことになり、結果評価、評論する人がすくなくなってしまった。

Gのレコンギスタ』を自分は賢いと思っている人が見れば、賢い自分でもこれぐらい考える作品は、他の人がみたらもっとわかりにくいはずだと誤解してしまったのではないでしょうか。

 しかし実際には『Gのレコンギスタ』にはファンが結構います。少なくとも私は好きです。
Gのレコンギスタ』を見て面白いと思う人が、いろいろ悩みつつも『Gのレコンギスタ』からいろんなことを感じることができるのではないでしょうか

私は『Gのレコンギスタ』から私なりに感じたことを書きました。しかしそれが、『Gのレコンギスタ』のすべてではありません。きっと私が次の段階に進んだ後『Gのレコンギスタ』を見れば、これまでの私が気づかなかった発見があると思います。

 

この記事の続きと呼べる内容はこちら

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これまでの記事まとめ。

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