音水信二のはてなブログ

note https://note.com/otomizusinnzi/ やTwitter @quGbaUmdpQraIar で活動していました。

『ウルトラマンZ』は何故面白いのか。それはしっかりとした怪獣を使った物語表現としっかりとしたメタ世界に話しかけるようなセリフが多い、そして子供向け怪獣ヒーロー番組として純粋に面白いからだ。  

 

ウルトラマンZ』はとても面白い。ここ10年の特撮、怪獣もの、ヒーローもので私は一番好きだ。このままいけば、『ウルトラQ』、『ウルトラマン』、『ウルトラセブン』は別格だとして、歴代で四番目か五番目にすごい『ウルトラマン』になるかもしれない。今『ウルトラQ』他第一期ウルトラシリーズを再放送するよりも現代に響くだろうと言う点では、今放送すべきウルトラシリーズとしては歴代最高傑作かもしれない。『ウルトラマンZ』はなぜここまで面白いのだろう。2020年8月7日現在考えてみよう。

 その理由は3つだ。1怪獣を使った物語表現がしっかりしている。2メタ世界に話しかけるようなセリフが多い。3そして子供向け怪獣ヒーロー番組として純粋に面白いからだ。それぞれ説明していこう。

 

1怪獣を使った物語表現がしっかりしている。

ウルトラマンZ』ではなぜ最初に登場した怪獣がゴメスなのか、それをセブンガーが倒すとはどういうことなのか、なぜゼロを吸収したのが、プルドンなのか。なぜ一号がセブンガーで二号がウインダムなのか、なぜウインダムがなかなか目覚めなかったのか、なぜネロンガで起動したのか、なぜハルキが拾ったメダルがジャックとエースでマンや平成三部作のメダルは拾えなかったのか。ベリアル因子が何かということが理屈としてしっかりしている。それを紐解くと『ウルトラマンZ』の作品としてのメッセージがしっかりと伝わってくるし、物語世界としても満足の内容になっている。それに対する回答もはっきりしている。ゆえに面白い。

 

2メタ世界に話しかけるようなセリフが多い。

 『ウルトラマンZ』のセリフは作中内の世界でも通用するセリフ共に現実世界にも訴えるメッセージが多い。そしてそのメッセージを紐解くことで作品としてのメッセージが伝わってくると同時に作中世界でも違和感なく入っている。特に一話、二話、三話が素晴らしかった。

 犬を助けるために自分も死にそうになるハルキやジャグラーのセリフ、バコさんのセリフなども現実世界へのメッセージや、作品を通して作り手の魂がどちらに向かっているかなどもはっきりしていて良い。

 

3そして子供向け怪獣ヒーロー番組として純粋に面白いからだ。

 『ウルトラマンZ』は怪獣やヒーローやロボットが本気で好きな人が本気で好きなものの魅力を伝えようとして作っている。だから面白い。適当に作っているわけでも、おもちゃのために作っているためでも、ウケ狙いで作っているわけでもない。だから面白い。

 ヒーローはヒーローの怪獣は怪獣の、ロボットはロボットとしての魅力を持っているだから面白い。

 

 以上が2020年8月7日現在の『ウルトラマンZ』がなぜ面白いかの考察記事だ。

 

 

 2020年12月25日、26日 追記 『ウルトラマンZ』最終回のネタバレあり。

マヨラーさんから「なぜ最初に登場した怪獣がゴメスなのか?」という点に関するコメントいただきました。マヨラーさん以外にもそのことを思った人がいるかもしれないので、そのコメントに返信する形で追記します。(2020年12月25日)

 

 

第一段階 考え方の基本、一般論

 

 作り手は作品に自分の気持ち、気分や考え方を乗せていることがほとんどです。

 その思いはひとつだけではなく、複数ある場合が多いです。

ウルトラマン』のような関わっている人が多い作品の場合はそれだけいろんな人がいろんな思いを込めて作っています。

 「『ウルトラマン』を見て楽しい気持ちになってほしい」と思っている人もいれば、「かっこいいロボットを見て、自分もロボットを作りたいと思って欲しい」という人もいるでしょうし、中には「『ウルトラマン』を使ってお金を儲けたい」と思っている人もいるでしょう。

 

 田口監督はインタビューによればシリーズ構成の立場から説得ののちどの回でどの怪獣を出すかの主導権を得られたようです。そのため第一カットで登場し、すぐにセブンガーに倒される役にゴメスを選んだのは田口監督(と仲間たち)だと思われます。

 

ここまでが第一段階です。

 

第二段階 なぜ田口監督はゴメスを選んだのか。表の理由

 理由の一つはマヨラーさんも理解している通り『ウルトラQ』の第一話の怪獣であり、登場することが『ウルトラマンZ』を人気作品にする上で必要な要素だったからです。

 なぜゴメスをだしたら人気が出るのか、考えるられる理由は二つあります。

 

一つ目の理由は第一期ウルトラシリーズファンへのアピールです。ゴメスを出すだけで『ああこれは『ウルトラQ』の一話の怪獣だ』と思う人は少なくないでしょう。特に子供の頃『ウルトラQ』などを見ていた年代、現在65歳前後、もしかしたら孫がちょうど『ウルトラマンZ』を見ているかもしれない人がこの一話を見た時、自分が『ウルトラシリーズ』を見ていた時に好きだった怪獣が出てくることで、もしかしたら孫と一緒に『ウルトラマンZ』を見てくれるかもしれない、もしかしたらそれで気分を良くして怪獣のグッズなどを購入してくれるかもしれません。リアルタイム世代以外にも第一期ウルトラシリーズは完成度の高さから今なお人気があります。他の『ウルトラマン』は見ていないが第一期ウルトラシリーズは好きという人もいるのではないでしょうか、ゴメスはそれらの層にアピールするのに適してます。

 二つ目の理由として『ウルトラQ』第一話の怪獣を出すことで、特撮マニアに注目してもらおうとした考えもあるでしょう。

シリーズ物の第一話で第一作第一話の要素を出すことは並大抵の覚悟ではできません、適当に使えばシリーズのファンから顰蹙を買う恐れがあります。

 しかしそれをうまく演出すればゴメスを使うという心意気が評価され、ウルトラマンが好きだが、最新作を見るつもりがない人でもたまたま『ウルトラマンZ』一話を見た時見始めようと思う可能性があります。

 全員が全員ではないでしょうが、昭和の怪獣が好きなウルトラファンはゴメスを見た瞬間にそれがゴメスであると同時に、ゴメスがどのようなエピソードでどういう背景をもった怪獣なのかを思い出します。それは同時にゴメスを好きだったころの自分も思い出すのです。そういった効果がいつの間に忘れていたウルトラマンへの愛を復活させるきっかけとなり『ウルトラマンZ』からウルトラマンを久しぶりに見る人が増えるのではという意図があったのではないでしょうか。

おそらく田口監督と仲間たちは『ウルトラマンZ』の会議でこう説明した上で一話の怪獣を決めたのではないでしょうか。

 

第三段階 なぜ田口監督はゴメスを選んだのか。裏の理由

 しかし実際のゴメスはセブンガーにすぐやられる役でした。なぜこうなったのでしょう。

ゴメス登場時は一見怪獣もののような取り方がされていますが、セブンガーの半分の身長しかなく、すぐにセブンガーにやられます。これにはどのような意図があるのでしょうか。

 

 このシーンだけ見ても様々な取り方ができます。

正統派怪獣であるゴメスを二期のウルトラ怪獣の象徴ともいえるセブンガーが共倒れのような形で倒し、どちらもの戦闘不能となりビルが崩れるという円谷プロウルトラシリーズの歴史を振り返ってるとも取れます。

ニュージェネレーションのウルトラマン円谷プロが一度ダメになってから再生しつつある物語であり、ニュージェネレーションの後のウルトラマンを目指した『ウルトラマンZ』の冒頭でこれまでのウルトラシリーズの歴史を振り返るという意図はあったかもしれません。

他にもウルトラ怪獣といった怪獣ものが徐々にロボットものに押され人気がなくなっていった中、それよりもさらに人気なヒーローものの時代が来た。というアクションものの戦後史を振り返っているとも取れます。

 

 ただこれはあくまでこのシーンだけ見た解釈です。

田口監督ら作り手が作品に自分たちの気持ちを入れたとしてどのような気持ちを入れたでしょう。そしてそれはどのように描くのが効果的だと考えたのでしょうか。

 インタビューやTwitterでの発言などを意訳すれば田口監督は「ヒーローの魅力だけでなく怪獣やロボットの魅力も感じて欲しい」などのことを話しています。

 

 それをもとに考えればゴメスはそのことを演出するために選ばれたと考えられます。

 ではなぜゴメスなのか、考えるためにウルトラシリーズの現状を見てみましょう。

 

ウルトラマン』はもともと怪獣番組でウルトラマンは怪獣を倒す役でした。しかしいつの間にか逆転が起きてしまったのです。すなわち怪獣はウルトラマンに倒される役となってしまっていたのです。

 ウルトラマンゼロ以降ウルトラマンはヒーローしての人気が強くなる反面怪獣は以前と比べると扱いが軽くなっていました。

例えば『ネクサス』や『タイガ』では怪獣がまるで悪かのようにもとられるように描かれています。最もそれはうわべの話であり、『ネクサス』や『タイガ』にもそれぞれの設定や魅力、メッセージ性があるのですが、初めて見たウルトラマンが『ネクサス』や『タイガ』の人が怪獣に悪役以上の魅力を感じることは第一期ウルトラシリーズや『ゴジラ』と比べると難しいのではないでしょうか。

反対に田口監督が担当した『X』や『オーブ』では怪獣が悪とは描かれていません。『オーブ』のジャグラスジャグラーも闇であっても悪ではありません。それは今回の『Z』でも徹底されていました。

 

 長くなりましたがこれを踏まえてなぜゴメスだったのか結論を書きましょう。

 

 『Z』制作チームは、『Z』であらためて怪獣やロボットの魅力を知ってもらうため、まず一話の第一カットで本来ウルトラシリーズがあるべき姿であった怪獣が人を襲うというシーンを見せた上で、それが簡単にやられるというというウルトラシリーズの現状を見せたのはないでしょうか。

 ゴメスは『ウルトラQ』第一話怪獣であり、古き良きウルトラシリーズの象徴であると同時に着ぐるみがゴジラの改造であったことから、ゴジラから続く怪獣ものの系譜であり、さらに改造されたという点から古き良きウルトラシリーズとは変化した現在のウルトラシリーズの現状を表していたのではないでしょうか。

 

 ゴメスを倒したセブンガーを倒したゲネガーグはおそらく生物兵器であり、悪に乗っ取られ武器と化した怪獣です。

 そしてセブンガーはウルトラマン同士が師弟関係であったり、兄弟であったりする二期以降のウルトラシリーズの象徴です。『ウルトラマンZ』は二期ウルトラシリーズで作られた世界観を前提に物語が作れています。

ウルトラマンZ』とは古き良き怪獣を二期的な要素を持つロボット怪獣がビルごと倒した(円谷プロ経営危機の暗喩?)後、武器と化し改造された怪獣を二期的な要素を持つロボット怪獣が肉体は持っているものの、過去の遺産を使わないと一人前に戦うことができないウルトラマンが一緒に戦い成長していく物語であったのではないでしょうか。

そして彼が共に戦うのはウルトラマンの象徴であるウルトラマンゼロジードだけでなく、怪獣側の象徴であるジャグラスジャグラーや怪獣好きのユカ、ロボット怪獣のパイロットヨウコ、そして存在自体が過去のロボットや怪獣映画の象徴ともいえるバコさんである。

彼は戦いののちにゼロの形をした操られたウルトラマンのまがい物を倒し、同時にレッドキングの卵も守ったのではないでしょうか。

この最終回の展開を考えた上で第一話の怪獣がゴメスとしたのだと思います。

 

(2020年12月25日、26日)

 

otomizusinnzi.hatenablog.com

otomizusinnzi.hatenablog.com

otomizusinnzi.hatenablog.com

otomizusinnzi.hatenablog.com

otomizusinnzi.hatenablog.com

 

『聖戦士ダンバイン』生存説。ネタバレあり。

 以下『聖戦士ダンバイン』のネタバレあり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ダンバイン』最終回ではたくさんのキャラクターが死にます。しかしこれは本当に死んだのでしょうか。実は生きていた可能性だってあります。

 そう思う理由は4つです。

理由1最終回において『ダンバイン』は実はある登場人物が人間に語った物語であることが明らかになります。これを最初から細かく決めていたのかどうかはわかりませんが、少なくとも最終回を組んだ段階では決まっています。

 理由2なぜか地上の軍艦において最終回にもなって実は自分たちはバイストンウェルの人々に化かされているのかもしれないという発言をします。

 理由3、ある人物は劇中でテレビに移されたり、グッズ化されていたりして売り物であることが協調されています。

 理由4そもそもある人物は死亡したキャラクターの死を直接は見ていない。

 

このことから実は最終回のみんな死んだという展開は実は嘘で、本当はみんな生きているという可能性もあります。

 

 ではなぜそのようなことをしたのか。理由としては『ダンバイン』の続編を作らせないためでしょう。『ダンバイン』の前の年に劇場版『ガンダム』が公開されています。『ガンダム』においてテレビ版では死んだはずだった。厳密には生死不明だったシャアが生存したことになっています。

 そして『ダンバイン』の二年後が『Zガンダム』であり、おそらく『ダンバイン』最終回段階では『ガンダム』の続編を作らないかという提案は受けています。

 もしかしたら富野由悠季は『ガンダム』の続編を作りたくないのに、続編を作らされかけ、シャアの活躍など期待されていることから。『ダンバイン』で同じことを言わせないために、シャアと違いわざわざ登場人物の死を描いたのかもしれません。

 その上で実はこの作品は作中人物の語りを元に作られた話であって現実とは違う可能性もある。実は騙されているかもしれないという可能性を示したのかもしれません。

 

 私の中では彼らは生きています。きっとバイストンウェルで楽しく暮らしていると思います。売り物と化したロボットアニメとは無関係の世界で。

 

 

otomizusinnzi.hatenablog.com

otomizusinnzi.hatenablog.com

otomizusinnzi.hatenablog.com

otomizusinnzi.hatenablog.com

otomizusinnzi.hatenablog.com

otomizusinnzi.hatenablog.com

 

『リーンの翼』感想と考察。日本アニメ、漫画、ゲームとロボットアニメ王の孤独と浄化。

 『リーンの翼』とても面白かった。このブログでも『リーンの翼』の感想と考察を行いたいのだが、最初に断っておきたいことがある。それは原作小説を読んでないことだ。どこかで読むことが出来れば良いなと思っているがなかなか入手できていない。

 また軍事に関する知識も少ない意図して思春期にはあまり触れないでいたのだ。もう解禁したので勉強中だ。『リーンの翼』視聴後桜花とその呼ばれ方などを知って自分の無知を自覚させられた。軍事についても勉強しておこうと思う。

 この記事を書く時点で視聴している富野作品は『機動戦士ガンダム』と『伝説巨人イデオン』のテレビ版及び劇場版。『Zガンダム』の劇場版(テレビ版を最後に見たのは小学4年の時であり、ほどんど覚えていない。というより映画の内容とごちゃごちゃになっている。そのうち見たい。)。映画『逆襲のシャア』、『F91』。テレビ版の『ブレンパワード』、『ターンエーガンダム』、『キングゲイナー』、『Gのレコンギスタ』そして『リーンの翼』だ。

 

 

 

 

 私はこの作品を王の孤独と絶望の浄化だと思っている。では王とは何かそれには二通りの解釈ができる。

 一つ目は単純に富野由悠季自身だ。映画製作者になるはずだった富野由悠季いろいろあってロボットアニメを製作するようになった。そしてロボットアニメ世界の王となった。考え方によればアニメ世界の王となったとも言えるかもしれない。それはまさにオーラロードを超えたと言える。

 しかし自分がいくら戦っても決して世界は良くならない。それどころか第二次大戦のことは忘れ去られようとしている。環境破壊は進んでいるし様々な問題がないがしろにされている。俺が戦ってきたこと(アニメづくり)はなんだったのだ。死ぬ前に故郷(現実世界)に帰ってきたい(様々なことを主張したい)。そういう思いが『リーンの翼』を生んだのではないだろうか。

 そして若者に浄化され成仏する。そして名作『Gのレコンギスタ』を作る準備に入るということだ。

 

 この若者は実在するかもしれないし、しないかもしれない。存在しない場合は富野由悠季自身が自分の中にある古い部分を自分自身の若者の力で自力で何とか乗り越えたということになる。

 

 もう一つの解釈はアニメ、漫画、ゲーム国となった日本の物語だ。

 日本はアニメ、漫画、ゲーム国となった。日本産のコンテンツは世界の一部でも評価されている。『ウルトラマン』、『ゴジラ』やジブリ任天堂、ジャンプなどはその代表と言えるだろう。しかし日本は豊かになったのだろうか。

 バイストンウェルは言うならばファンタジーの世界である。戦争に敗れた日本人は娯楽の世界に転移して生活してきた。そしてその世界を豊かにしてきたし、王にもなった。『ガンダム』だって大ブームになった。『イデオン』もだ。

 しかしそれで良かったのだろうか。『リーンの翼』はコンテンツ世界で生きていた人が、晩年に現実世界へ帰還しようとする話だったのではないだろか。

 そしてそれは日本国全体のさらに言えば世界全体の覚醒を願う物語だったのではないだろうか。

 

 

 私は『リーンの翼』映画化して欲しいと思っている。と言っても各回のタイトル場面とあらずじと、EDをカットして、最初にタイトル場面を描いて、最終回にフルコーラスでEDを流すだけの編集費以外お金がかからない状態にして欲しい。

 そういう状態があるだけで各種イベントでの再配信や再放送などが行いやすくなる。またレンタルDVDや配信などで触れるも増えるだろう。

 こんなことを言うのもなんだが全六話、3時間弱のテレビアニメを一気に見る人と。2時間50分の映画を見る人は後者の方が多いと思うのだ。『リーンの翼』は再評価されるべきアニメだと思うので是非たくさんの人の目に触れる形にしてもらたいと思う。

 最近は忙しくてできないのだが、来年の春あたりに署名活動でもしてみようかな。もし『リーンの翼』ノーカット総集編制作を希望する署名活動をしている方がいればMeWeまたはブログなどで連絡していただければ署名するので声をかけて欲しい。

 

 

 

 

 

otomizusinnzi.hatenablog.com

otomizusinnzi.hatenablog.com

otomizusinnzi.hatenablog.com

otomizusinnzi.hatenablog.com

 

『逆襲のシャア』の4DXを見てきた。ネタバレあり。

映画の内容はもちろん『逆襲のシャア』なので面白いに決まっている。しかし4DXにはかなり不満が残った。

 前回の記事を丸々すべて引用する。

otomizusinnzi.hatenablog.com

  先日4DX『逆襲のシャア』を見てきた。正直言う微妙だった。『逆襲のシャア』の内容はもちろん面白いのだが、いろんな動きが誰視点の動きなのかがこちゃごちゃになっていた。
そのため正直残念だった。
 剣で切る側の動きの直後切られる側の動きとなるので正直言うと没入感はなかった。映画としての統一感を感じなかった。
 また動きのバリエーションが少ないのでこれさっきも感じた動きだという場面があって残念だった。
発想自体は悪くないと思うので、ヒーローにおけるウルトラマン、アニメにおける高畑勲。ロボットアニメにおける富野由悠季のような存在がでてきて演出すれば化けると思う。もっとも僕が見た映画の動きだけが悪いのかもしれないが。

引用ここまで

 

より具体的に書こう。

 序盤のクエスの師匠的な存在が連邦軍兵士に叩かれる時、座席の後ろから叩かれる(けっこう痛い)。それはびっくりしたし面白かったのだが、後半でジェガンなどの切り合いとなっても同じ動きが繰り返されるのだ。言うならば飽きてくるのだ。MSの切り合いは連邦軍兵士の攻撃と同じぐらいなのかよとも思った。

 

 MS同士の攻撃も、攻撃する側の動きを体感した後、爆破される側の動きなったりすることがあって集中できなかった。

 

 ただ少し工夫するだけで化けると思う。というのも誰の視点で見ていいのか決まってないから混乱して楽しめないのだ。そのため視点を固定すればよい。

 もし私が4Dの振り付けを担当することになれば座席の動きはすべてカメラ視点に固定する。カメラの動きに添って座席が移動したり、振動したりすることにする。そうすることで動きを楽しみつつ、映画に集中することができるだろう。

 

otomizusinnzi.hatenablog.com

 

4DXの感想。

 

 先日4DX『逆襲のシャア』を見てきた。正直言う微妙だった。『逆襲のシャア』の内容はもちろん面白いのだが、いろんな動きが誰視点の動きなのかがこちゃごちゃになっていた。

そのため正直残念だった。

 剣で切る側の動きの直後切られる側の動きとなるので正直言うと没入感はなかった。映画としての統一感を感じなかった。

 また動きのバリエーションが少ないのでこれさっきも感じた動きだという場面があって残念だった。

発想自体は悪くないと思うので、ヒーローにおけるウルトラマン、アニメにおける高畑勲。ロボットアニメにおける富野由悠季のような存在がでてきて演出すれば化けると思う。もっとも僕が見た映画の動きだけが悪いのかもしれないが。

 

逆襲のシャア』のネタバレあり。の記事はこちらといってもそこまでネタバレはしてないが。

otomizusinnzi.hatenablog.com

こちらの記事から一部引用しよう。

 

ただ少し工夫するだけで化けると思う。というのも誰の視点で見ていいのか決まってないから混乱して楽しめないのだ。そのため視点を固定すればよい。

 もし私が4Dの振り付けを担当することになれば座席の動きはすべてカメラ視点に固定する。カメラの動きに添って座席が移動したり、振動したりすることにする。そうすることで動きを楽しみつつ、映画に集中することができるだろう。

 

 

最後まで読んで頂きありがとうございます。いろんな記事を更新しているので読んで頂けると嬉しいです。

otomizusinnzi.hatenablog.com

 

『アオイホノオ』と理想の青春と苦しみ

私は今年の春『アオイホノオ』読んで泣きました。もともとイメージロンタリングも香りがしえあまり好きではなかったのですが、改めて読んでみると面白かったです。

 『アオイホノオ』にはいつか魅力があります。純粋に島本和彦の自伝漫画としての魅力のほかに、『おしん』としての楽しみ方言うならば、あの時代を生きた若者全員の集合体としての人物ホノオという魅力もあります。

 私が『アオイホノオ』で感動したのは、庵野秀明らへの思いです。私はホノオのライバルは山賀だと思っています。最初に彼がホノオを仲間にいれなかったためにホノオの運命が決まります。

 本当はホノオはつまり島本和彦こと手塚青年は庵野秀明らとつるんで学生生活をする手だってあったはずなのです。しかしなぜかそれは叶わなかった。もしかしたら『ダイコン3』や『オネアミスの翼』、『プリンセスメーカー』、『ナディア』、『エヴァンゲリオン』、『シンゴジラ』などは手塚青年も一緒に作っていた未来があったかもしれないのに、その未来は来なかった。本当は一緒に学園生活を送りたかった。その思いが『アオイホノオ』にはあふれています。だからホノオと庵野秀明たちの青春が交互に描かれているのです。

 そしておそらく『アオイホノオ』を連載始めていた頃にはその傷がまた癒えていない。だからあんなに魅力があったのでしょう。

 

 自分の作品が彼らによってアニメ化されたもののおそらく納得が言ってないのではないでしょうか。

 『アオイホノオ』はやがて実写化されます。電通の力を借りて、カッコいいテーマソングやBGMも作られます。庵野秀明との対談も以前から何度も行っていますが、自分の単行本のコミックも巻末に収録できたりもしています。

 あの頃の憧れていた人たちがたくさん自分の作品のドラマに出演しましたし、かなりのヒットとなりました。

 また庵野秀明が参加した作品『シンゴジラ』についてツイッターで呟いていたらイベントになったりもしました。

 

 しかしそれで手塚青年の心が満たされたのかはわかりません。なんだか私にはいまだに苦しんでいるような気がするのです。

 庵野秀明ガイナックス組とは友情をあると思いますし、あると信じていると思います。しかしどこかいいように使われているという面もあります。

 

 自分たちをカッコよく描いてくれる実話を元にした作品があれば参加するでしょうし、応援もするでしょう。作者とお話だってするでしょう。しかしそれで良いのでしょうか。だめではないでしょうが、どこか痛みもあるのではないでしょうか。

 島本和彦の言動を見て入ると、おそらくほとんどキャラでしているのでしょうが、どこか本気でああいうキャラをしているところも感じます。

 ああいうキャラでありたいという理想がいまだに残っている。しかしそういうキャラになれないのもわかっている。そのため自分はビジネスでそういうキャラを演じていますという体で本当に自分のなりたかった姿であろうとしている。地に足がついてない感じがするのでどこか痛いところもあるけど、本気でしているし、そういう熱さの魅力も知っているので彼の漫画を読んでいるとどこか本気で勇気づけられるところがある。

 せこいところもあるけど、本気で作品を愛しているし、自分の理想も持っている大人。

私は電通のことを批判しているので、電通と組んで作品を作っている島本和彦には思うところがあります。それはウルトラマンも同じです。

 私は鬱になっている時に『アオイホノオ』を読めて良かったと思っています。そのためダブルスタンダードではありますが、彼の在り方からはいろんなものを学ばせてもらいました。島本和彦は勝手に心の中の師匠の一人となっています。

公式本を読んで思った『ヘボット』ってこういうことをしたかったのではないかという原案を考える。公式読本の内容に触れています。ホビーアニメ、メーテレ枠と販促アニメとバンナムといつまでも子どもであろうとする大人からの独立なのでは。

『ヘボット』再配信おめでとうございます。新展開の展開も期待できとても嬉しです。ちなみにこの記事はそれとは関係なく書いていたものです。

 

前回の記事 

otomizusinnzi.hatenablog.com

 

 

 この記事では『ヘボット』はもともとどういうことを考えていたのか、やろとしていたのかを書きます。そのことによって『ヘボット』が最終的に何をしようとしていたのかを考える手がかりになると思いました。

 というのも『ヘボット』は一見わけはわからないような内容ですが、作品の理屈としてしっかりとした軸があるはずの番組はずです。しかしそのことについて考察した記事をほとんど見かけません。そろそろ『ヘボット』を見て育った子どもたちがネットを好き放題いじりだす頃です。その時にふと『ヘボット』について調べた時に、自分が子どもの頃見ていたアニメはこういうことをしようとしていたのかということを知るきっかけがあれば良いなと思っていますが、『ヘボット』全体について考察するだけの時間や熱意は今の私にはありません。そのため『ヘボット』考察中の内容を公開して、一度『ヘボット』考察を中断しようと思っています。正直言えばこんがらがって一人で『ヘボット』について考えるのに限界が来ました。この文章が『ヘボット』について考えるきっかけになれば嬉しいです。

 

 私はこの作品はメーテレ枠やバンダイナムコ、言うならば、ホビーアニメからの独立を描こうとしていたのではないかと思います。

 以下公式本のおまけ漫画および本編終盤のネタバレあり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ヘボット』の初期案ではラスボスがネジ王です。ネジ王が楽しむために周囲の存在を利用していたことが明らかとなりネジルが彼を倒して終わります。

 そのうえで相棒であるヘボットと一緒に過ごしていきます。

 本編ではこれとは違う設定が採用されませんでしたが、理屈はそこまで変わってないでしょう。

 

 

otomizusinnzi.hatenablog.com

この記事でも書きましたが『ヘボット』はおもちゃの宣伝がものすごく下手です。おもちゃの宣伝としては大失敗したと言っても良いです(しかし人気アニメにはなりましたし、DVDもとてもたくさん売れました)。

 お話の内容からももしかしたら何か考えがあったのかもしれません。そこで公式本を読んでいると、納得できることがありました。

 

 『ヘボット』はそういうおもちゃを売るアニメへの挑戦状として作られたではないでしょうか。『ヘボット』が放送されたメーテレ枠は『ザンボット3』から始まった枠ですがそもそもおもちゃを売るための枠でした。またニチアサと呼ばれる『仮面ライダー』、『スーパー戦隊』、『プリキュア』などと同じ枠でした。それはどれも行ってしまえばおもちゃを売るためのアニメです。『ヘボット』はおもちゃを売るためのアニメと見せかけて、実際おもちゃを売りながらも内容は全く違うことを成し遂げました。また企画段階でわかっていたかどうかはわかりませんがメーテレ枠の最終作となりました。

 後半がおもちゃが発売されなくなり、おもちゃの紹介コーナーで他のことが行われるなどが起きました。また終盤ではおもちゃ会社のプロデューサーが作中に登場するなど、ホビーアニメとしてギリギリのところまで行きました。

 かつても『ヘボット』のように売り物となっている作品について述べている作品はありました。例えば『うる星やつら2 ビューティフルドリーマー』、『仮面ライダーディケイド』などです。

 

 『ヘボット』は自分(たち)がおもちゃを使った遊びに付き合わされていたことを自覚した上で、おもちゃの相棒であるヘボット(人物)と一緒に過ごすことを肯定し一緒に生きていきます。

 これは大人や子どものままでいようとする大人からの独立しつつ。彼らの文化から距離と取りつつ。自分で新しい道を用意した上で、大人が用意した文化と一緒に生きていこうとする気持ちを感じます。

 これは『ガンダム Gのレコンギスタ』にも通じづるところがあります。

otomizusinnzi.hatenablog.com

 

 これがどういうことを意味するのか。テレビ版は元の設定とどう違うのか、階層とはなどは正直一人で考えるのには限界が来たのでここら辺で終わっておきます。

 『ヘボット』再配信を機会に作品としての『ヘボット』の感想や考察。どういう意図があったのかという意図の推理などが増えれば良いなと思います。

 

 

 個人的には『ヘボット』は子供にはどう映っていたのか、そもそも子どもがどれぐらい見ていたのかなどが気になります。

 以前『ヘボット』は女子ウケを狙わなかったから不利だった見たいなことを書いた気がするけど、女の子は果たしてどれほど見ていたのかという点も気になります。個人的にはオンタイムだけが作品だと思いません。そういうのはおもちゃの売り上げとかを気にしている人とか、どこかの程度の悪いカリスマアニメ研究者やカリスマオタク文化研究者がすれば良いのです。私はそういうことにはあまり興味がありません。楽しみたいときに楽しみたいものを楽しみたいだけ楽しめば良いのです。はやりや文化、「価値観のアップデート」、「新しい生活」なんてものに乗る必要なんてありません。好きなものは好きで良いのです。お前は「新しい生活」が殺人なら人を殺すのか、「価値観のアップデート」が戦争賛美ならば戦争賛美するのか。大事なのは自分で考えることです。

 私がブログをしているのは誰かの好きだという気持ちを守るためです。自分が好きなものが他にも好きな人がいたら何となく嬉しいな。ただ読んだ誰かがそう思うためだけに書いています。あわよくば『Gのレコンギスタ』などの僕の好きなアニメを見る人が増えたら良いなとは思っています。

 周囲の人の好きを守るための配慮やマナーは必要ですが、部屋で何を見てようが勝手です。表現規制はすべてなくなれば良いと思います。

 2020年8月の無料公開で『ヘボット』について新たに知る人がたくさんいるでしょう。そしてこれからも『ヘボット』のことを新たに知っている人がたくさん出てくるでしょう。

 その時に見て感じたことすべてが『ヘボット』の力です。『ヘボット』がオンタイムでどれだけ流行ったなどはそこまで大切ではないのです。結局黒字でしたでしょうし、DVDもかなり売れたので万々歳です。

 

 『ヘボット』はホビーアニメの中で大人が楽しませ、なおかつメッセージ性も描くという富野由悠季らがしようと思っていたことを、さりげなく、良くも悪くも成し遂げ(ってしま)た作品です。しかも『ザンボット3』から始まり『ガンダム』などが放送されたメーテレ枠で、もちろんそれは富野由悠季を含むたくさんの巨匠たちが名作アニメを作っていくなかで出来たアニメブームやアニメがたくさん放送されている文化が生んだきっかけでしょう。『ヘボット』はホビーアニメの行きつく先の一つとして何か意味がある作品だったと思います。

 言葉を濁させてもらいましたが今日のところの『ヘボット』考察はここら辺にしておきます。今後とも『ヘボット』がたくさんの人に愛されていくことを願います。

 

 前回の記事

otomizusinnzi.hatenablog.com