音水信二のはてなブログ

note https://note.com/otomizusinnzi/ やTwitter @quGbaUmdpQraIar で活動していました。

4DXの感想。

 

 先日4DX『逆襲のシャア』を見てきた。正直言う微妙だった。『逆襲のシャア』の内容はもちろん面白いのだが、いろんな動きが誰視点の動きなのかがこちゃごちゃになっていた。

そのため正直残念だった。

 剣で切る側の動きの直後切られる側の動きとなるので正直言うと没入感はなかった。映画としての統一感を感じなかった。

 また動きのバリエーションが少ないのでこれさっきも感じた動きだという場面があって残念だった。

発想自体は悪くないと思うので、ヒーローにおけるウルトラマン、アニメにおける高畑勲。ロボットアニメにおける富野由悠季のような存在がでてきて演出すれば化けると思う。もっとも僕が見た映画の動きだけが悪いのかもしれないが。

 

逆襲のシャア』のネタバレあり。の記事はこちらといってもそこまでネタバレはしてないが。

otomizusinnzi.hatenablog.com

こちらの記事から一部引用しよう。

 

ただ少し工夫するだけで化けると思う。というのも誰の視点で見ていいのか決まってないから混乱して楽しめないのだ。そのため視点を固定すればよい。

 もし私が4Dの振り付けを担当することになれば座席の動きはすべてカメラ視点に固定する。カメラの動きに添って座席が移動したり、振動したりすることにする。そうすることで動きを楽しみつつ、映画に集中することができるだろう。

 

 

最後まで読んで頂きありがとうございます。いろんな記事を更新しているので読んで頂けると嬉しいです。

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『アオイホノオ』と理想の青春と苦しみ

私は今年の春『アオイホノオ』読んで泣きました。もともとイメージロンタリングも香りがしえあまり好きではなかったのですが、改めて読んでみると面白かったです。

 『アオイホノオ』にはいつか魅力があります。純粋に島本和彦の自伝漫画としての魅力のほかに、『おしん』としての楽しみ方言うならば、あの時代を生きた若者全員の集合体としての人物ホノオという魅力もあります。

 私が『アオイホノオ』で感動したのは、庵野秀明らへの思いです。私はホノオのライバルは山賀だと思っています。最初に彼がホノオを仲間にいれなかったためにホノオの運命が決まります。

 本当はホノオはつまり島本和彦こと手塚青年は庵野秀明らとつるんで学生生活をする手だってあったはずなのです。しかしなぜかそれは叶わなかった。もしかしたら『ダイコン3』や『オネアミスの翼』、『プリンセスメーカー』、『ナディア』、『エヴァンゲリオン』、『シンゴジラ』などは手塚青年も一緒に作っていた未来があったかもしれないのに、その未来は来なかった。本当は一緒に学園生活を送りたかった。その思いが『アオイホノオ』にはあふれています。だからホノオと庵野秀明たちの青春が交互に描かれているのです。

 そしておそらく『アオイホノオ』を連載始めていた頃にはその傷がまた癒えていない。だからあんなに魅力があったのでしょう。

 

 自分の作品が彼らによってアニメ化されたもののおそらく納得が言ってないのではないでしょうか。

 『アオイホノオ』はやがて実写化されます。電通の力を借りて、カッコいいテーマソングやBGMも作られます。庵野秀明との対談も以前から何度も行っていますが、自分の単行本のコミックも巻末に収録できたりもしています。

 あの頃の憧れていた人たちがたくさん自分の作品のドラマに出演しましたし、かなりのヒットとなりました。

 また庵野秀明が参加した作品『シンゴジラ』についてツイッターで呟いていたらイベントになったりもしました。

 

 しかしそれで手塚青年の心が満たされたのかはわかりません。なんだか私にはいまだに苦しんでいるような気がするのです。

 庵野秀明ガイナックス組とは友情をあると思いますし、あると信じていると思います。しかしどこかいいように使われているという面もあります。

 

 自分たちをカッコよく描いてくれる実話を元にした作品があれば参加するでしょうし、応援もするでしょう。作者とお話だってするでしょう。しかしそれで良いのでしょうか。だめではないでしょうが、どこか痛みもあるのではないでしょうか。

 島本和彦の言動を見て入ると、おそらくほとんどキャラでしているのでしょうが、どこか本気でああいうキャラをしているところも感じます。

 ああいうキャラでありたいという理想がいまだに残っている。しかしそういうキャラになれないのもわかっている。そのため自分はビジネスでそういうキャラを演じていますという体で本当に自分のなりたかった姿であろうとしている。地に足がついてない感じがするのでどこか痛いところもあるけど、本気でしているし、そういう熱さの魅力も知っているので彼の漫画を読んでいるとどこか本気で勇気づけられるところがある。

 せこいところもあるけど、本気で作品を愛しているし、自分の理想も持っている大人。

私は電通のことを批判しているので、電通と組んで作品を作っている島本和彦には思うところがあります。それはウルトラマンも同じです。

 私は鬱になっている時に『アオイホノオ』を読めて良かったと思っています。そのためダブルスタンダードではありますが、彼の在り方からはいろんなものを学ばせてもらいました。島本和彦は勝手に心の中の師匠の一人となっています。

公式本を読んで思った『ヘボット』ってこういうことをしたかったのではないかという原案を考える。公式読本の内容に触れています。ホビーアニメ、メーテレ枠と販促アニメとバンナムといつまでも子どもであろうとする大人からの独立なのでは。

『ヘボット』再配信おめでとうございます。新展開の展開も期待できとても嬉しです。ちなみにこの記事はそれとは関係なく書いていたものです。

 

前回の記事 

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 この記事では『ヘボット』はもともとどういうことを考えていたのか、やろとしていたのかを書きます。そのことによって『ヘボット』が最終的に何をしようとしていたのかを考える手がかりになると思いました。

 というのも『ヘボット』は一見わけはわからないような内容ですが、作品の理屈としてしっかりとした軸があるはずの番組はずです。しかしそのことについて考察した記事をほとんど見かけません。そろそろ『ヘボット』を見て育った子どもたちがネットを好き放題いじりだす頃です。その時にふと『ヘボット』について調べた時に、自分が子どもの頃見ていたアニメはこういうことをしようとしていたのかということを知るきっかけがあれば良いなと思っていますが、『ヘボット』全体について考察するだけの時間や熱意は今の私にはありません。そのため『ヘボット』考察中の内容を公開して、一度『ヘボット』考察を中断しようと思っています。正直言えばこんがらがって一人で『ヘボット』について考えるのに限界が来ました。この文章が『ヘボット』について考えるきっかけになれば嬉しいです。

 

 私はこの作品はメーテレ枠やバンダイナムコ、言うならば、ホビーアニメからの独立を描こうとしていたのではないかと思います。

 以下公式本のおまけ漫画および本編終盤のネタバレあり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ヘボット』の初期案ではラスボスがネジ王です。ネジ王が楽しむために周囲の存在を利用していたことが明らかとなりネジルが彼を倒して終わります。

 そのうえで相棒であるヘボットと一緒に過ごしていきます。

 本編ではこれとは違う設定が採用されませんでしたが、理屈はそこまで変わってないでしょう。

 

 

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この記事でも書きましたが『ヘボット』はおもちゃの宣伝がものすごく下手です。おもちゃの宣伝としては大失敗したと言っても良いです(しかし人気アニメにはなりましたし、DVDもとてもたくさん売れました)。

 お話の内容からももしかしたら何か考えがあったのかもしれません。そこで公式本を読んでいると、納得できることがありました。

 

 『ヘボット』はそういうおもちゃを売るアニメへの挑戦状として作られたではないでしょうか。『ヘボット』が放送されたメーテレ枠は『ザンボット3』から始まった枠ですがそもそもおもちゃを売るための枠でした。またニチアサと呼ばれる『仮面ライダー』、『スーパー戦隊』、『プリキュア』などと同じ枠でした。それはどれも行ってしまえばおもちゃを売るためのアニメです。『ヘボット』はおもちゃを売るためのアニメと見せかけて、実際おもちゃを売りながらも内容は全く違うことを成し遂げました。また企画段階でわかっていたかどうかはわかりませんがメーテレ枠の最終作となりました。

 後半がおもちゃが発売されなくなり、おもちゃの紹介コーナーで他のことが行われるなどが起きました。また終盤ではおもちゃ会社のプロデューサーが作中に登場するなど、ホビーアニメとしてギリギリのところまで行きました。

 かつても『ヘボット』のように売り物となっている作品について述べている作品はありました。例えば『うる星やつら2 ビューティフルドリーマー』、『仮面ライダーディケイド』などです。

 

 『ヘボット』は自分(たち)がおもちゃを使った遊びに付き合わされていたことを自覚した上で、おもちゃの相棒であるヘボット(人物)と一緒に過ごすことを肯定し一緒に生きていきます。

 これは大人や子どものままでいようとする大人からの独立しつつ。彼らの文化から距離と取りつつ。自分で新しい道を用意した上で、大人が用意した文化と一緒に生きていこうとする気持ちを感じます。

 これは『ガンダム Gのレコンギスタ』にも通じづるところがあります。

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 これがどういうことを意味するのか。テレビ版は元の設定とどう違うのか、階層とはなどは正直一人で考えるのには限界が来たのでここら辺で終わっておきます。

 『ヘボット』再配信を機会に作品としての『ヘボット』の感想や考察。どういう意図があったのかという意図の推理などが増えれば良いなと思います。

 

 

 個人的には『ヘボット』は子供にはどう映っていたのか、そもそも子どもがどれぐらい見ていたのかなどが気になります。

 以前『ヘボット』は女子ウケを狙わなかったから不利だった見たいなことを書いた気がするけど、女の子は果たしてどれほど見ていたのかという点も気になります。個人的にはオンタイムだけが作品だと思いません。そういうのはおもちゃの売り上げとかを気にしている人とか、どこかの程度の悪いカリスマアニメ研究者やカリスマオタク文化研究者がすれば良いのです。私はそういうことにはあまり興味がありません。楽しみたいときに楽しみたいものを楽しみたいだけ楽しめば良いのです。はやりや文化、「価値観のアップデート」、「新しい生活」なんてものに乗る必要なんてありません。好きなものは好きで良いのです。お前は「新しい生活」が殺人なら人を殺すのか、「価値観のアップデート」が戦争賛美ならば戦争賛美するのか。大事なのは自分で考えることです。

 私がブログをしているのは誰かの好きだという気持ちを守るためです。自分が好きなものが他にも好きな人がいたら何となく嬉しいな。ただ読んだ誰かがそう思うためだけに書いています。あわよくば『Gのレコンギスタ』などの僕の好きなアニメを見る人が増えたら良いなとは思っています。

 周囲の人の好きを守るための配慮やマナーは必要ですが、部屋で何を見てようが勝手です。表現規制はすべてなくなれば良いと思います。

 2020年8月の無料公開で『ヘボット』について新たに知る人がたくさんいるでしょう。そしてこれからも『ヘボット』のことを新たに知っている人がたくさん出てくるでしょう。

 その時に見て感じたことすべてが『ヘボット』の力です。『ヘボット』がオンタイムでどれだけ流行ったなどはそこまで大切ではないのです。結局黒字でしたでしょうし、DVDもかなり売れたので万々歳です。

 

 『ヘボット』はホビーアニメの中で大人が楽しませ、なおかつメッセージ性も描くという富野由悠季らがしようと思っていたことを、さりげなく、良くも悪くも成し遂げ(ってしま)た作品です。しかも『ザンボット3』から始まり『ガンダム』などが放送されたメーテレ枠で、もちろんそれは富野由悠季を含むたくさんの巨匠たちが名作アニメを作っていくなかで出来たアニメブームやアニメがたくさん放送されている文化が生んだきっかけでしょう。『ヘボット』はホビーアニメの行きつく先の一つとして何か意味がある作品だったと思います。

 言葉を濁させてもらいましたが今日のところの『ヘボット』考察はここら辺にしておきます。今後とも『ヘボット』がたくさんの人に愛されていくことを願います。

 

 前回の記事

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『平成たぬき合戦ぽんぽこ』感想。日本人の心のよりどころはどこへ行く。

 

先日10数年ぶりに『平成たぬき合戦ぽんぽこ』を視聴しました。非常に面白い映画でした。

 この映画は環境保護の映画だけではなく、何か活動を始めた人に置きがちな出来事を描いた作品でもあります。そしてアニメを作るという行為を描いている作品でもあります。たぬきたちが化ける時に数人で一つのものになっていることはアニメを作り人を化かすという行為そのものです。ラストシーンはのちの『風立ちぬ』も同じようなことをしています。この時に素直に感動するのが宮崎駿の演出なのでしょうね。

 私は『平成たぬき合戦ぽんぽこ』でも『風立ちぬ』でも泣きましたが、その涙の質は全く違ったものでした。

 『風立ちぬ』では素直に泣けましたが、『平成たぬき合戦ぽんぽこ』ではいろんなところがいたくなりながらも涙があふれてくるというものでした。素直に泣きたいならば『風立ちぬ』です。『平成たぬき合戦ぽんぽこ』は見ていて少しみじめになりがならもそれでもなんとかやってやろうと感じさせる涙でした。それこそ「生きよう」と感じさせるものです。

 一方『風立ちぬ』は素直にこれまでやってきたこの対して誇らしくなるような涙でした。どちらも違ってどちらも良いのでしょうね。

 富野由悠季作品ならば、『逆襲のシャア』は『平成たぬき合戦ぽんぽこ』型の感動だと思います。『機動戦士ガンダム』はどちらでしょうか『風立ちぬ』型でしょうかね。富野由悠季作品は『Gのレコンギスタ』、『リーンの翼』、『キングゲイナー』、『ターンエーガンダム』、『ブレンパワード』と涙が出てくる感動というわけではないですが確実に心に温かさを感じることができるという作品だと思う。

 高畑勲作品では『となりの山田君』が『Gのレコンギスタ』などの上で上げた富野由悠季作品と同じ種類の感動だと思う。

 

 私はこの映画を日本人の心のよりどころの喪失とそれを再び探す物語だと感じた。

 日本の元からあった風景がなくなり、西洋化が進む中自分たちはどうしたら

ハンバーガーにハマってしまったりもする。そんな自分たちはどうすればよいのかという物語だと感じた。

 高畑勲は『チエ』以降日米合作の『NIMO』の降板後、日本人を描いた作品しか作っていない。

 高畑勲は『平成たぬき合戦ぽんぽこ』以降『となりの山田君』、『かぐや姫』という名作を作っていく。『ぽんぽこ』はその作品とこれまでの高畑勲作品の懸け橋としてとても重要な作品なのだろう。

 『平成たぬき合戦ぽんぽこ』とても面白いので是非見て欲しい。

 

 

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雑談『おもひでぽろぽろ』感想。結果としてプリンセスものと同じ構図になっている『おもいでぽろぽろ』。

 高畑勲版『おもひでぽろぽろ』を見ました。この映画はなぜか農家に嫁ぐ思想を広めるためのプロパカンダ映画のような扱いをされています。なぜそうなったのか2019年の夏頃考えていました。そして一ヵ月ぐらいたったある日気づきました。この映画は構造がプリンセスものと同じだということです。夢見がちな女の子が理想の場所へ行って理想的な目にあう。そして魅力的な異性と出会う。

 もっとも『おもひでぽろぽろ』はそんな単純な映画ではないのですが、この作品がどういう映画なのかはただいま勉強中です。すくなくとものこ数年のうちに記事にすることはないでしょう。

 

最後に私が以前『柳川掘割物語』の記事を投稿した時に見つけた『おもひでぽろぽろ』の面白い考察記事を見つけましたので、その記事の投稿主さんの許可をもらい次第リンクを貼りたいと思います。

 

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アニメ感想 宮崎駿版『風立ちぬ』を見て心動かされた。二つのシーン。ネタバレあり。

 私がジブリ宮崎駿版『風立ちぬ』を見て心動かされた場面を二つ書く。

以下映画宮崎駿版『風立ちぬ』のネタバレあり。

 一つ目の場面はシベリアだ。自分が持っているシベリアを人に渡したら喜ばれるかもしれないと思うが、上げようとしても不気味がられるという場面だ。見ていて「この気持ちわかる」と思った。

 二つ目はラストシーンだ。飛行機が帰ってくる場面は、見ていて涙があふれてきた。

私の宮崎駿版『風立ちぬ』感想は以上だ。もう少し長く語れば終わらなくなってしまいまそうなので、今日のところはここまでにしておく。正直のところ気持ちがそこまで整理できていない。また何年かして再び『風立ちぬ』を見た時。気が向いたら改めて感想を書きたいと思う。

 

 最後に以前読んだ『風立ちぬ』感想で面白いものがあったからリンクを貼っておく、小説家津原 泰水先生が自身の掲示板に書き込んだものだ。

全5ページあるので貼っておく こちらも非常に面白いのでおすすめだ。

 大正時代を舞台とした小説も執筆したことがある作家が『風立ちぬ』を見て面白いと思い絶賛する記事を書いたものの、なぜか内容に関する「デマ」が広まっていることに驚きプロが書いた『風立ちぬ』批評を批評していくなかで、なぜ「デマ」が広まったのか推測したのちに、自身の小説を書くという心境や三菱重工に勤めていた自身の父のとの会話などを書いたのち名セリフ「創造的な10年」に触れたのち、シベリアの意味についても触れている。そして衝撃のデマもとを発見するという内容である。非常に面白いので是非見て見て欲しい。

https://6020.teacup.com/tsuhara/bbs/1594

https://6020.teacup.com/tsuhara/bbs/1595

https://6020.teacup.com/tsuhara/bbs/1596

https://6020.teacup.com/tsuhara/bbs/1597

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https://6020.teacup.com/tsuhara/bbs/1599

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私はこう見た『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ! オトナ帝国の逆襲』感想

 私が2歳の頃に公開された映画『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ! オトナ帝国の逆襲』は日本アニメ映画の傑作の一つだと言われている。監督は原恵一だ。この作品は毎週テレビで放送されているアニメ『クレヨンしんちゃん』の映画版であり、昔を懐かしむ気持ちが扱われている。

太陽の塔は私にとっても大切な場所であり、個人ではもちろん、行事で出かけたり、私が普段(2020年7月14日)書いている小説『愛の耀き勇気の鼓動』取材でも何度も通っている。そんな太陽の塔が描かれる場面は印象的でした。

 私はこの映画の作り手が一番心を込めて作った人物は敵役であるケンだと思う。彼は昔への思いと今への絶望から、昔の世界を作りあげようとする。それは作品を作る作り手自身ではないだろうか。

 その野望は野原家によって否定されてしまう。劇場公開当時の『オトナ帝国』のメインターゲットは普段『クレヨンしんちゃん』を見て入る家族であったと推測できる。そのため「普通」の家族がケンの野望を砕く物語は感動的な物語であった。

 しかし今この映画を見る人はおそらくかつて『クレヨンしんちゃん』を見ていた子どもも含む大人たちだろう。その大人たちは野原家のようになっているのだろうか。それともケンのようになっているのだろうか。もしケンのようになっていたのならば、この映画は昔と随分と意味が変わった映画となるだろう。

 私はこの映画と似た映画に『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』をあげる。こちらの映画も同様に、作り手の分身のようなキャラクターが今の社会に絶望し社会を変えようとする物語だ。

 私はかつて『ガンダム』が大好きだったが、いろんなことがあり精神的におかしくなってしまってシャアのような気持になっていた。この世界に逆襲したいような気分だった。そんな時に『逆襲のシャア』を見て、早まるのはやめよう。もう少し心穏やかになろうと思った。

 今度ケンのような気持になった『クレヨンしんちゃん』を好きだった人が『オトナ帝国』を見て、気持ちが変わることがあるかもしれない。

 

 

 

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私は以前『レディプレイヤー1』を批判した。

しかしこの映画は『レディプレイヤー1』とは異なる物語だと思う。あの映画はオタクが好きそうな懐かしいコンテンツが出ると宣伝して、オタクを主人公としておきながら、しあわせになった主人公にオタクを批判するようなことを言わせた。その発言は間違ってはいないが、それはこの作品を本当に必要としていて、そのために頑張っているオタクへの裏切りだと思う。

 

 『レディプレイヤー1』と比べると『オトナ帝国』がいかに公平な作品であったのかがわかる。タイトルからオタクが敵役で最終的にしんのすけにやられることを暗示させつつ、かつ物語ではなつかしさを描き、最終的にケンは破れるものの、破れたものなりの明日が示唆されている。

 少なくとも懐かしいコンテンツにまた会えるというふうな宣伝をし、感情移入させておいたキャラクターにオタクを裏切らせるような発言はしていないと思う。

 

 この映画の作り手はいつか『オトナ帝国』いや『クレヨンしんちゃん』自体が作中で描かれた懐かしのコンテンツになることをイメージして作品をつくったと推測させるが、それから19年たった2020年現在も『クレヨンしんちゃん』は放送されている。『クレヨンしんちゃん』が懐かしのコンテンツになる日が来るのだろうか。

 『クレヨンしんちゃん』以外にも『アンパンマン』、『ドラえもん』、『ちびまる子ちゃん』、『ワンピース』や『ドラゴンボール』、『ポケモン』など当時はやっていたものが今も続いていりする。

ガンダム』いたっては実際に動くガンダムを作るというリアルオトナ帝国のようになっている。

 コンテンツ全体には終わらないものが増えたりもしている

もしかしたら『オトナ帝国』は現代の子どもには通じない作品となりつつのあるのかもしれない。

 

 

 

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